論語でジャーナル’25
子游(しゆう)曰く、君に事(つか)えて数(しばしば)すれば斯(ここ)に辱(はずか)しめられ、朋友に数(しばしば)すれば斯に疏(うと)んぜらる。
子游が言った。「主君に仕えていて、こうるさく同じ諫言をすると、きっと馬鹿にされ、友人にこうるさく同じ忠告をすると、きっと疎遠になるものである。
※浩→子游は孔子の弟子で、姓は言、名は偃(えん)です。諫言も忠告も、「しばしば」するから、辱められ疎外されるのでしょうから、「しばしば」つまりしつこくなければやってもいいということでしょう。アドラー心理学では、「問題行動偽解決行動ループ」というのがあります。例えば、親御さんが子どもに、「しょっちゅう口うるさく勉強するように言っているんですが、ちっともやりません」とおっしゃいます。これは、子どもが勉強しないという、親にとっての問題行動を解決しようとしてやっている働きかけが、かえって子どもが勉強しないという問題行動を持続させているという、悪循環で、真の解決法ではなくて偽解決です。そこで、その悪循環を断ち切るために、「一度、その声かけをやめてみませんか?」とカウンセラーが提案します。「いいえ、そんなことをしたら、もっと勉強しなくなります」と親御さんは抵抗されます。そこで、「これまで何回そうおっしゃいましたか?」とたずねて、「200回くらいでしょうか」となれば、「これまで200回言って勉強するようにならなかったのですね。それではこれからあと500回、1000回言い続けると、やるようになるでしょうか?」と、未来を予測してもらいます。たいていの場合、これで気づかれるでしょう。気づかれたら次に、「実験だと思って、今週だけ言うのをやめてみて、その結果を次回お話しいただけませんか?」と提案します。
さて、次回どんな報告があるでしょうか?1つは、親が黙っていたら子どもが勉強をするようになった。1つは、いっそう勉強しなくなった。1つは何も変化がなかった。この3つが予測できます。勉強するようになったのなら、めでたしめでたしです。いっそう勉強しなくなったというのは、たぶんないでしょう。変化がないのなら、「言っても言わなくても勉強しないことがわかりました。で、どうなさいますか?」と詰めることができます。これで将棋で言えば王手です。
野田先生は、子どもさんにお説教をするときは、前もって「お説教したいのですが、聞く気はありますか?」とたずねられたそうです。あるとき、息子さんが食事をしていて、カレイの干物を片身たべて、片身を食べ残しました。そこで説教したくなり、「あのー、ちょっとお説教したいんですが、聞く気ありますか?」と言うと、「お父さんがお説教なんて珍しいから、聞きます」。「あのね、あなたは今カレイを片身残しましたね。よその国には食べる物に困っている子どもがいるのに、食べ残すなんてどういうことでしょう」「お言葉ですが、お父さん、僕が今カレイを食べ残したことと、その子どものお腹がふくれることとは関係ありません。それともお父さんはこのカレイを宅急便で送るつもりですか?」。野田先生は、「失礼いたしました」と引き下がりました。そして、賢い子を持って幸せだと感じられたそうです。また、先生は、わかりやすく説明するために、よく「箇条書き方式」でお話されていました。まず「3つあります。1つは~」というふうに。ぜひ真似をしたいです。
これにて「里仁篇」はおしまいです。