論語でジャーナル’25
3,子、子賤(しせん)を謂(い)わく、君子なるかな、若(かくのごと)き人。魯に君子なかりせば、これ焉(いずく)にか斯(これ)を取らんと。
先生が子賤を評して言われた。「子賤のような人こそ、まさに君子だね。魯国に君子がいないとしたら、この子賤はいったいどの君子を手本にしたのだろうか?(もし魯の国に君子がいなかったとすれば、どうしてこの地位を取得しえたであろう。先輩として多くの君子がいたればこそ、子賤のような君子が出た)」。
※浩→子賤は弟子の宓子斉(ふくしせい)で、孔子より四十九歳若かった。孔子は若い子賤を君子として高く評価していました。当時、衰亡のきざしを見せていた魯には、徳と実力を兼ね備えた君子がいないという悪評が立っていたらしいです。そこで、孔子は自慢の門弟である子賤を指して、「このような立派な君子がいるのだから、魯国に優れた君子がいないなどという話はありえない」と強く反駁したのです。多くの先輩に恵まれているということは、若者が育つにあたってはとても大切な条件だと思います。故・野田俊作先生が残された「勇気づけの歌」の冒頭に、「創始の師なるアドラーとドライカースとシャルマンと多くの師たちと同学(先輩)と教えを頼りに学ぶべし」とあります。アドラー心理学の学びの場には、ほんとに多くの師と先輩・同輩が存在します。私の周辺でも若者が徐々に育っていて頼もしいです。