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スレッドNo.405

論語でジャーナル’25

7,子曰く、道行われず、桴(いかだ)に乗りて海に浮かばん。我に従う者は、それ由(ゆう)か。子路(しろ)これを聞きて喜ぶ。子曰く、由は勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所なからん。

 先生が言われた。「(中国では)私の理想とする道徳が行われない。いっそのこと、中国を見捨てて筏に乗って海に浮かぼう(海の向こうの遥か遠くの国に行こうか)。そのとき私についてくる者は、由であろうか」。由すなわち子路はそれを聞いてわが意を得たりと喜んだ。すると先生はこれをたしなめて言われた。「由は、武勇(勇敢)を好むことは私以上である。しかし、筏の材料はどこで取ってくるのかね」。

※浩→晩年の孔子は、諸侯にその献言を用いられることもなく、徳治政治の実現に対してやや悲観的になっていた。そこで、愛弟子のひとりである子路に向かい、「筏にでも乗って、海の向こうの東夷の国にでも行き、そこで仁や礼の徳を普及するかな」と、シニカルに問いかけました。孔子は、勇敢で剛毅な子路の性質を深く愛して期待していましたが、同時に、子路の後先を省みない無鉄砲なまでの直情径行ぶりを危惧していました。
 孔子の為政者の仁徳による理想政治は大名に採用されることはなくて、失意の孔子です。孫弟子の孟子の説く「王道政治」も実現されることがなくて、実際は「覇道政治」「法治政治」が行なわれたのが中国の歴史のようです。
 岡山県備前市に閑谷学校といって、かつて岡山藩が庶民教育のために建てた学校があります。祖国で失意の孔子がまるで「東夷=日本」の岡山へおいでになったみたいです。国宝の行動では今も『論語』の購読が行われています。さて、本国の中国はといえば、やはり「覇道政治」が行われいるようで、孔子の尊い理念は永遠に実現されることはないのでしょう。
 アドラー心理学が世界にあまねく普及しないのも、「共同体感覚」という高邁な理想よりも、私利私欲を求める「利己主義」のほうが人々に受け入れられるからでしょう。こちらもやはり永遠にその理想は実現しそうにありません。それでも私たちは諦めません。野田俊作先生の遺された『勇気づけの歌』のラストは次のようです。

 勝ち負けのない平等な
 真の所属をみずから成し遂げ
 次の世代に伝えていけば
 人類全体幸福に

 得られた知識を人々と
 世界の未来の幸福に
 献げるように毎日の
 学習実践励むべし

 となっていますから、先生のご遺志を継いで、私たちはアドラー心理学を学び実践し続けます。

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