論語でジャーナル’25
8,孟武伯(もうぶはく)問う、子路仁なるか。子曰く、知らざるなり。また問う。子曰く、由や、千乗の国、その賦(ふ)を治めしむべし、その仁を知らざるなり。求や何如(いかん)。子曰く、求や、千室の邑(ゆう)、百乗の家、これが宰(さい)たらしむべし、その仁を知らざるなり。赤(せき)や何如。子曰く、赤や、束帯して朝(ちょう)に立ち、賓客と言わしむべし、その仁を知らざるなり。
孟武伯がたずねて聞いた。「子路は仁ですか?」先生は言われた。「わかりません」。さらにたずねたので、先生は言われた。「由(子路)は、(千台の戦車を備えた)諸侯の大国でその軍政を担当させることができますが、仁であるかどうかはわかりません」。「求はどうでしょうか?」先生は言われた。「求(冉有)は、千戸の町や(百台の戦車を備えた)家老の家でその執政を務めさせることはだきますが、仁であるかどうかはわかりません」。「赤(公西華)はどうでしょうか?」。先生は言われた。「赤(公西華)は、衣冠束帯の礼服をつけて朝廷で官位に就き、客人と応対させることはだきますが、仁であるかどうかはわかりません」。
※浩→魯に帰国した孔子と魯の有力貴族である孟孫氏(三家老の1つ)の若い令息との対話です。孟武伯は孟懿子(もういし)の子で、父の死去のあとをうけて年少で父の地位を継ぎました。その孟武伯が孔子に「門弟に「仁」があるか」と問いました。孔子はそれに直接の回答を与えず、それぞれの弟子が持つ能力と適性を的確に評価しています。子路は勇敢で軍略に優れていたので、大国の賦(軍務全般)を担当するのに適していると。冉有は細かな行政事務に精通していたので、大貴族の邸宅において執事(執政)を司るのに適していると。公西華は年少者ではあるが、礼節を弁えていて外交交渉にも優れていたので、衣冠束帯を身に付けて朝廷で官職に就くのに向いていると評しました。
「仁者かどうか」の質問に直接の回答をしないで、それぞれの弟子たちの長所・能力・適性を述べていることは、師が弟子を評価するときの良いモデルになります。アドラー心理学では、人を勇気づけるときに、短所・欠点でなく長所・利点を指摘しますが、このこととも通じそうです。また、「仁者か?」という問いは、「共同体感覚を実践しているか?」と置き換えられそうです。なるほど、こう問われたら「それはわかりません。でも、これこれを実践できる能力の持ち主です」とは言えます。また、「仁」の徳は、そんなにやすやすと誰にでも実践できるレベルのものでないこともわかります。これは地平線を目ざして進むように、安易にゴールに到達できない、究極目標というか仮想的目標ではないでしょうか。