論語でジャーナル’25
9,子、子貢に謂いて曰わく、汝と回と孰(いず)れか愈(まさ)れる。対(こた)えて曰く、賜(し)は何を敢えて回を望まん。回は一を聞いて以て十を知る。賜は一を聞いて以て二を知るのみ。子曰く、如かざるなり。吾も汝とともに如かざるなり。
先生が子貢に向かって言われた。「お前と回とは、どちらが優れているか?」。子貢はお答えして言った。「私ごときが、どうして回(顔淵)を望むことができましょう。顔淵は一を聞いて十を悟ります。私などは一を聞いてそれで二を知るだけです」。先生は言われた。「(お前は顔淵に)及ばない。私もお前と一緒で顔淵には及ばないよ」。
※浩→子貢(由)も顔淵(回)も孔子の誇る高弟で、世に知られた英才でしたが、孔子に「お前と顔回とどちらが優れているだろうか?」と問われた子貢は謙譲の徳を発揮して、「私などは、一を聞いて十を知る天才の顔回の足元にも及びません」と答えました。それを聞いた孔子は、子貢の謙虚な回答に満足して、「お前が顔回に及ばないように、私もあの優れた顔回には遠く及ばないのだよ」と謙虚に返しました。
同輩を立てて、自分は謙遜するのに、「彼は一を聞いて十を悟るが、自分はせいぜい二を悟る」という子貢は凄いです。そしてそれを聞いた師が「自分もお前と一緒だ。彼にはかなわない」と言うくらいですから、顔回の凄さがうかがえます。貝塚茂樹先生は、師自身まで回に及ばないというのは、少し言いすぎのようだ、と。それほど顔回は秀才だったのです。
私には、K先生という年齢は22歳下の相棒がいます。私とほぼ同時にアドラー心理学の世界に入り、私より3年後にカウンセラーの資格を得られました。それから今日までずっと二人三脚で活動してきましたが、特に2010年からの倉敷工業高校と、2018年からの津山工業高校での講座とカウンセリング活動は、彼がいなければ決して実現していません。そればかりか、彼の人柄と接しているうちに、私の狭かった視野がさらに広がり、狭いライフスタイルが高齢者となった今も少しずつ成長していることがわかります。恩師・野田俊作先生からは人生そのものをいただいたようですが、K先生からは大事なライフワークとも言えるお仕事をいただきました。「謝謝您Xie4 xie nin2」です。そして彼が昨年4月に古巣の岡山工業に転勤された今も、私にとっても古巣の同校で毎月講座を開けています。生きがいをいただいています。