論語でジャーナル’25
13,子貢曰く、夫子の文章は得て聞くべし。夫子の性と天道とを言うは、得て聞くべからざるなり。
子貢が言った。「先生の文化儀礼についての考え方は聞くことができた。しかし、先生が人間の本性と天の道理についておっしゃることは、聞くことができなかった」。
※浩→孔子の学問は元来即物的であり、抽象的でも思弁的でもなかったと主張する清朝の学者たちが最もしばしば引用する箇所だそうです。
孔子の側近くで長く仕えた子貢は、先生の礼や仁に根ざした行動様式についてはいろいろと聞く機会があったが、孔子の語る「人間の本性論」や「天道の原理(道理)」については詳しく聞く機会を得られなかった、と。儒学では、仁に根ざした道徳的な政治体制と文化形式が重視されますから、孔子は天の道(道理)や人間の本性のようなことについて門弟に丁寧に教えることはあまりなかったのでしょう。しかし、孔子自身は、天の道理(法則)と人間の本性(性質)について正確な理解を持っていたと考えられています。天命に従事して人生を生き、人間の善き本性を発揮して教育を行なったのが孔子なのです。「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり(里人篇)」とありました。
「人間の本性」の問題は、孟子以後の儒学では好まれたようですが、『論語』では、「陽貨篇」に「性は相近く、習いは相遠し」と、ただ一つあるだけです。「天」については、やはり「陽貨篇」に「天何をか言うや、しかも四時行われ、百物生ず」と遠慮深く述べられています。
アドラー心理学で「共同体感覚」を語るときの参考になりそうです。慎重でありたいです。では、「語りえないのか?」。語りえないのなら「沈黙するしかない」とウィットゲンシュタインは言いました。アドラーは弟子に「Live it.」と言ったそうです。「あなたがそれを生きてみせることが最大の教育法だ」という意味です。