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スレッドNo.443

論語でジャーナル’25

24,子曰く、孰(たれ)か微生高(びせいこう)を直(ちょく)なりと謂う。或る人醯(す)を乞う。諸(これ)をその鄰(となり)に乞いてこれに与う。

 先生が言われた。「誰が微生高を正直(まっすぐ)だなどと言ったのだ。ある人が微生高に酢をもらいに行ったら、彼は隣家から酢を貰ってその人に与えたではないか」。

※浩→微生高がまっすぐに正直に生きているという評判を聞きつけた孔子は、微生高が酢を求められた際に、正直に「持っていない」と答えずに隣家から貰ってその人に上げたことを批判的に見ています。功利主義的な観点では、「持っていない」と正直に答えるよりも、隣家から酢を借りてでも欲しい人に与えるほうが合理的なようですが、孔子は「持っていないのに、持っていたように見せかけた」という意味で微生高の「直」の徳を低く見たのでしょう。
 この孔子の態度については、厳しすぎるような気もします。カントの立場も“厳格主義”と言われました。純粋な「善」は「善意志のみ」と言いました。道徳法則は、ただ「善をなせ」という無条件の「定言命法(命令)」でしたから。酢を借りに来た人のニードに応えるには、ただ正直に「うちにはない」と言うよりも、「うちにはないから隣に行ってみたら?」とでも言ってあげほうがより親切かもしれません。
 微生高についてのエピソードに、女の人と橋の下で逢い引きの約束をして、女が来るのを待っているうちに、川の水かさが増して溺れ死んだ男がいる。これが微生髙と同一人物だと言われます。
 吉川幸次郎先生の解説では、人間はもとより善意をもって生きるべきである。しかしその善意を遂行できない場合がないではない。人からものを頼まれても、できない場合は、率直に断るのがいいのである。善意を無理に遂行しようとすれば、そこには虚偽が生まれる、という重要な教訓を含んでいる、と。「善意」に「誠意」を追加するとバランスが良くなるかもしれません。

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