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スレッドNo.449

論語でジャーナル’25

27,子曰く、已(や)んぬるかな。吾(われ)未だ能(よ)くその過ちを見て内に自ら訟(せ)むる者を見ざるなり。

 先生が言われた。「この世も最早ここまでか。私はまだ自分の過ちを認め、内面で自分を責めることができる人物を見たことがない」。

※浩→春秋末期に風俗が乱れ、自分の利益や出世ばかりを追い求める人材が栄耀栄華をほしいままにするようになりました。そういう憂うべき天下の窮状を見て、孔子は嘆息して「やんぬるかな(もうこの世はおしまいだ)」と言いました。自分自身の過失や責任を認めることなく、罪悪感を痛感する良心を失ってしまった人間ばかりになると、社会が混乱し「仁」の思いやりの心が滅びてしまうということを憂慮しています。
 社会の実態に失望した賢者の嘆きがひしひしと伝わってくるようです。NHKラジオの早朝番組に「絶望名言」というのがありました。月に1度くらいの頻度で放送されていました。古今東西の著名人の残した「絶望フレーズ」を解説付きで放送していました。すぐに連想できる芥川龍之介や太宰治に限らず、もっと広範囲から著名人が登場していました。箏曲の宮城道雄さんも登場しました。彼は全盲で、妻のサポートがないと生きていけなくて、彼女に頼り切っているとかいうお話でした。わが家の本棚に『サルトルの世界』─絶望の裏側のいのち─(清水弘文堂書房)という1冊の本があります。パラパラとめくると、こんな一節がありました。
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 われわれはドイツの占領下にあったときほど、自由であったことはなかった。われわれはわれわれのすべての権利を、まず第一にものを言う権利を、失ってしまった。われわれは、毎日真っ向から侮辱され、しかも沈黙していなければならなかった。われわれは、労働者として、ユダヤ人として、政治犯として、大量に流刑にされていた。……すべてこうしたゆえにこそ、われわれは自由だったのである。ナチの毒がわれわれの思考の中にまで忍び込んでいたがゆえに、正しい思考の一つ一つが戦利品だった。……一秒一秒、われわれは、《人間はみな死ぬものだ》という、このささやかな、ありふれた句の意味を、あますところなく、生きていた。しかも、各人が自分自身についてなす選択は、死を眼の前にしてなされるがゆえに、《むしろ死んだほうが……》という形で常に表現されえたであろうがゆえに、ぬきさしならぬ正真のものだった。……抵抗に関係するいくつかの細部をよく知っているものはすべて、《もし自分が拷問されたら、自分は堪え忍ぶだろうか?》と、苦悩をもって自問していた。かくして、自由についての疑問そのものが提出されていたのであり、われわれは、人間が人間自体について持ちうる最も深刻な認識のほとりにいたのである。けだし、人間の秘密とは、そのエディプス・コンプレックスあるいはインフェリオリティ・コンプレックスのことではない。それは実に人間の自由の限界そのもののことであり、苦痛と死とに対するその抵抗力のことだからである。
 ↑引用終わり
 サルトルは、フロイトやアドラーにも通じていたようです。

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