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スレッドNo.455

論語でジャーナル’25

2,仲弓、子桑伯子(しそうはくし)を問う。子曰く、可なり、簡なり。仲弓曰く、敬に居て簡を行い、以てその民に臨む。亦(また)可ならずや。簡に居て簡を行う、すなわち大(はなは)だ簡なからんや。子曰く、雍の言(げん)、然り。

 仲弓が子桑伯子について質問をした。先生がおっしゃった。「まあいいだろう。大まかだから」。仲弓が言った。「心構えは慎重でありながら行動は大まかにやる。そういう態度で人民に対するなら、それもよろしいでしょう。しかし、心構えも大まかで行動も大まかというのでは、大まかすぎるのではないでしょうか」。先生が言われた。「ほんとにお前の言うとおりだよ」。

※浩→子桑伯子は当時の政治家だそうですが、どういう人物かよくわかりません。君子の思考と行動のバランスについて仲弓(雍)が語った部分で、孔子の子桑伯子の評価に対して、仲弓が「鷹揚で簡潔なだけでは事を誤るのではないか?」と質問をしています。仲弓の為政者としての素質を高く買っていた孔子は、仲弓が「外見上の行動が大雑把であっても、内面的な思索は深くなければならない」と語ったのを喜びました。人民に臨むには、「堂々とした行動」だけではなく「注意深い思考」が必要です。孔子は、そこに気づいた仲弓の意見がもっともなことであると答えたのです。
 人をリードしていくには、ただ行動が堂々としているだけでなく、注意深い思考が必要だということは、現代でも同じだと思います。国のリーダーから始まって、企業などの組織では管理職、子どもたちを指導する教師にも必要な資質です。そう言えば、以前登場した一節に、「君子は重からざればすなわち威あらず。学べばすなわち固ならず」と「学而篇」にありました。私は子どものころ、よく親戚のおねえさんから、「ひろちゃんはおっちょこちょいだから」とたしなめられました。そそっかしく落ち着きの乏しい子のようですが、それよりもむしろ「早とちり」だったのではないかと、今は思います。野田先生ふうに言えば「即断即決」です。その劣等感をある程度補償できたのは、大学で不本意にも(勧誘中の先輩に強引に拉致されて部室へ連れ込まれて断れなかった)ボート部に入って、苦行に堪えたおかげだと思います。「おしゃべり」なのは、小学生のころ、妹と2人で伯母さん(父の姉)の家にお泊まりに行って、伯母と妹と私と川の字に寝ていて、伯母が「ひろちゃんは大きくなったら何になる?」と聞かれて、「アナウンサー」と答えたことがあります。実際はアナウンサーにはならないで教師になって、その後、アドラー心理学を得てからは「講演」をしますから、「おしゃべり」の特性が活かされています。おっちょこちょいのほうは、その後過補償されて、むしろ逆に動きの少ない、一時は大変無口な人になっていました。無口のほうは箍(たが)がはずれてしまいました。でもまあ、相手と場合によりますが。

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