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スレッドNo.470

論語でジャーナル’25

9,季氏、閔子騫(びんしけん)をして費(ひ)の宰たらしめんとす。閔子騫曰く、善く我がために辞せよ、如(も)し我を復(ふたた)びすることあらば、則ち吾(われ)は必ず文の上(ほとり)に在らん。

 季氏が、閔子騫を費という町の宰相(領主)に任命しようとした。閔子騫は使者に向けて言った。「私のためによく季氏に辞退の意志をお伝えください。もし、再び私を宰相に任命しようとするのであれば、私はきっと魯国を出て文水のほとりにいるでしょう」。

※浩→孔子の晩年には、孔子門下の有能・博学・有徳の弟子たちの名声が高まり始め、諸国から高級官吏や宰相として任命したいとの思いが寄せられることもありました。閔子騫という人物は、孔子の弟子の中で『徳行第一(もっとも人徳が高い)』と賞された人で、閔子騫は自身の名誉や栄達のために仕官することを好まない潔癖・清浄の君子であったそうです。吉川幸次郎先生は、なぜ閔子騫が任命を拒絶したのか、その理由は本文からは明かではないとしながらも、古注から、季氏が「不臣」であったこと、つまり僣上沙汰(身分を越えて出過ぎた行い)ばかりしている家であったこと、また、費が不安定な土地であったことを理由として挙げています。ここの語気から、閔子騫の潔癖さが最大の理由とも考えられます。かようにも清廉潔白な人物は、少々近寄りがたくも感じられます。そばにいると、直立不動で応対しないといけないかもしれないですから。「落語国」の住人には人間的な魅力があります。上方落語では「喜六」「清八」、桂枝雀の落語に登場する「松本留五郎」、江戸落語の「はっつぁん」「くまさん」です。私の落語とのつきあいは長いです。大学時代にボート部の柴田浩志先輩のアパートの隣室に一時住んでいました。先輩はラジオで落語番組が始まると、壁をドンドンと叩いて、私に知らせてくれていました。お隣どうしで笑いこけていました。その柴田浩志先輩は、農学部出身で大卒後は埼玉県鴻巣市の「植苗紙」というものを作る会社に就職されました。私は何度か彼を寮にたずねて泊めていただきました。その後、「チッソ」本社に異動され、水俣病関連の後始末に取り組まれたそうです。ずっと熊本市に在住でしたが、2022年のお正月に誤嚥性肺炎のためお亡くなりになりました。惜しい先輩をなくしました。名前は私と同じ「ひろし」ですが、彼の「ひろし」には「志」がついています。よく先輩から、「大森にはこころざしがない」と冷やかされていました。懐かしい思い出です。岡山工業時代には、歌舞伎と落語で国語担当の細川公之先生と親交ができましたが、残念なことにその細川先生も数年前に他界されました。あちらの世界には往年の名優さんたちや落語の師匠たちと談話していることでしょう。天王寺屋さん、京屋さん、成駒屋さん、中村屋さん、成田屋さん、大和屋さん、澤瀉屋さん、古今亭志ん生師匠、古今亭志ん朝師匠、三遊亭円生師匠、立川談志師匠、桂枝雀師匠、桂米朝師匠、……。細川先生の贔屓(ひいき)の役者は最近亡くなった中村吉右衛門です。細川先生はテレビドラマの「鬼平犯科帳」が大好きでした。
 清廉潔白と言えば、やはり幼な子の清らかさを想います。最近、往年の名作「汚れなき悪戯」を観ました。ラストが主人公の死で終わるところが「フランダースの犬」と似ています。キリスト教世界では、神様に召されるのは喜ばしいことでしょうから、主人公がラストで死んでもハッピーエンドなんでしょうか?タイトルの「汚れなき悪戯」はスペイン語で「パンとワイン」)で、1955年製作のスペイン映画です。14世紀イタリア中部ウンブリア地方で起こったと言われる民間伝承を元にした、ホセ・マリア・サンチェス・シルバ(José María Sánchez Silva)が1952年に発表した小説が原作です。1955年のカンヌ国際映画祭で、主演のパブリート・カルボが特別子役賞を受賞しています。それはそれはかわいい子です。主題歌「マルセリーノの唄」は大ヒットしました。サントラ盤では修道士とマルセリーノの掛け合いが入っていて、これを聞くだけでも感動します。今でも泣けてきそうです。
 映画は、祭礼のために丘の上の教会に向かう人々の流れと逆方向に歩き、町に住む病気の少女を見舞う無名の神父の話で始まります。彼は今日の祭りは何を記念するものか知っているかと少女とその父親に問い、祭礼の起こりを語り始めます。そのあとは枠物語の形式でストーリーが進みます。19世紀の前半、スペインのある町の町長を、2人のフランシスコ会神父と1人の修道士の3人が訪れ、侵略者フランス軍により破壊されたまま廃墟となっている丘の上の市有地の修道院を再建する許可を求めた。町民の助けを得て再建された修道院では、やがて12人に増えた修道士たちが働いていた。
 ある朝、修道院の門前に男の赤子が置かれていた。神父は赤子に、その日が祝日の聖人名「マルセリーノ」と命名して洗礼を授けた。両親はすでに亡くなっていたことが判ったため、修道士たちは近隣に里親を求めて歩き回った。しかし里親にふさわしいと考えられた人々の生活は苦しく、また引き取ると申し出た鍛冶屋は徒弟を乱暴に扱っているため修道士の方で断り、結局赤子は修道院で育てることになった。
 5年後、マルセリーノは丈夫で活発な少年になっていた。彼は修道士たちから愛され、また宗教や学業の手ほどきを受けはじめていたが、細やかな愛情を注ぐ母親も同じ年頃の遊び相手もいない孤児の境遇に、修道士たちは胸を痛めていた。
 ある日、町に行く途中で馬車の故障で修道院に立ち寄った家族がいて、マルセリーノはその母親と話すことで女性に初めて接し、また自分と同じくらいの歳だというマヌエルという息子の話も聞いた。マルセリーノが炊事係のトマス修道士に自分の母親のことを尋ねると「母親は美しい女性で、今は神様のところにいる」と修道士は答えた。そしてマルセリーノは、マヌエルを仮想の遊び仲間として独り言を言いながら遊ぶ癖がついた。
 修道院の再建を許可した町長は、死ぬ前に土地の寄贈を採決しようと申し出たが院長は断っていた。しかし彼の死後に町長となった鍛冶屋はマルセリーノの里親となることを要求し、拒否されると他の議員への影響力を駆使して修道院を立ち退かせようと画策し始めた。
 トマス修道士はマルセリーノに「農具や工具を保管する屋根裏部屋には決して入るな、奥の部屋には男がいてお前を捕まえる」と言いつけていたが、ある日好奇心から、おっかなびっくり階段を上がって行ったマルセリーノは、奥の部屋で大きな十字架上のキリスト像を見た。転がるように階段を下って逃げたマルセリーノだが、怖いもの見たさで再び様子を見に戻ると「男」は元の場所から動いていなかった。
 トマス修道士の話を信じて「男」が彫像だとは思わないマルセリーノは像に話しかけた。男は答えなかったが、痩せて空腹そうだと思った少年は台所に走るとパンを持ってきて差し出した。すると像の腕が動いた。像はマルセリーノが大きな肘掛け椅子を勧めると降りてきて、「私が誰だか分かるか」と問うとマルセリーノは「神様です」と答えた。像は特にパンとワインを喜んだので、マルセリーノは毎日それらを盗んでは像に持って行った。それに気づいた修道士らは、訝りながらも気付かぬふりをして彼を見張ることにした。
 キリスト像との会話の中で、話題はマルセリーノの母のことや像の母のことに及んだ。ついにある日トマス修道士が見張っていると、いつものようにパンとワインを持って行ったマルセリーノに、キリストは「おまえは良い子だから願いをかなえよう」と告げた。迷わずマルセリーノは「お母さんに会いたい、そしてあなたのお母さんにも会いたい」と言った。「今すぐにか?」という問いには「今すぐ」と答えた。ドアの割れ目から覗くトマス修道士の前で、像は少年を膝に抱きそっと眠らせた。
 トマス修道士は階段上まで戻ると兄弟たちを呼んだ。駆けつけた神父と修道士たちは空になった十字架を見て、やがて像が十字架に戻るのを見て扉を開いた。輝く光のうちに、マルセリーノは椅子の上で微笑みを浮かべて死んでいた。
 奇跡を聞きつけた町の人々が続々と集まる中、町長とその妻は彼らに混じって行った。やがて修道院には教会が建てられ、聖堂には奇跡のキリスト像が置かれ、その一隅にマルセリーノが葬られた。奇跡の記念日には遠近の町村から大勢の人々が集まるようになった。これが映画の冒頭で語られた祭礼の起こりなのであった。
 あらら…また全部話しちゃった(笑)。

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