論語でジャーナル’25
18,子曰く、質、文に勝るときは則ち野(や)、文、質に勝るときはすなわち史(し)、文質彬彬(ひんぴん)として然してのちに君子なり。
先生が言われた。「内容が表現を圧倒すると野人になる。表現が内容を圧倒すると文士になる。表現と内容が渾然として、はじめて君子になる」。
※浩→「世界の名著」の解説から引用します。
「野」は古代都市の城壁の外、つまり遠い郊外を「野」と言い、そこに住む人、つまり農民が「野人」の意味だそうです。
「史」は元来、神をまつるときの祭文、神殿の年代記、卜(うらない)の言葉などを起草し書き写し記録する役であったのが、一般の「書記役」に発展した。書記の分掌は、とかく形式的になる傾向があり、この傾向をさして孔子は「史なり」と言ったらしいです。
質は具体的には素朴、文は装飾をさし、「礼」つまり文化の2つの形式と考えられました。殷王朝の文化は質であり、周王朝の文化は文であると言われます。しかし、孔子は、2つがいろいろの形態で結合して、異なった文化を創っていくとしています。
文章については、すでに「巧言令色鮮(すく)なし)仁」がありました。口先だけうまく、顔つきだけよくする者には、真の仁者はいない。「巧言」は「言を巧(たく)みにす」とも読め、「口先・言葉を飾っておべんちゃらを言うこと」とも読めます。「令色」は「色(いろ)を令(よ)くす」とも読め、「顔つきを物柔らかにすること」とも読めます。そういえば「令和」の「令」です。「鮮」は、滅多にないという意味。真の人格者はむしろ口が重く、愛想がないということですが、「朴訥こそ良し」とも考えません。ここでの孔子は、2つの結合、調和を良しとしているようで、この考えは孔子の孫の子思の『中庸』へ受け継がれていくのでしょう。
「中庸」の『中』とは、偏らない、しかし、決して大小や上下の中間を取りさえすればよいという意味ではありません。アリストテレスの「中庸」がそうでした。とかく「中途半端」や「50対50の真ん中」と混同されています。中間、平均値、足して2で割るというものではなくて、常に、その時々の物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ通常の感覚でも理解できるものです。
『庸』については、「平常」だったり「常」「不易(ふえき)」だったりします。
話がどんどん脱線していきました。シンプルにまとめると、文を書くときはある程度の装飾も必要ですが、あまり技巧に走りすぎると、「鮮し仁」となって真意が伝わりにくくなります。
カウンセリング場面で、アドラー心理学のロジックにもとづく技術を用でクライエントの抱える問題を解決に導いていくとき、ロジックをそのまま伝えても、理解されないでしょうから、レトリックが必要です。そのために、文学的な才能が要求され、小説やドラマやお芝居などに描かれている人生模様を知ることが大きな手がかりになります。メタファー(隠喩)もよく使います。メタファーは比喩の1つで,「氷の刃」「彼女は天使だ」のように,「~のような」にあたる語を用いない喩えで、「氷のような刃」「彼女は天使みたいだ」などの表現を「直喩 simile」と言います。隠喩の目的は,上の例では,刃や女性の性質,状態を直喩よりも一層印象深く聞き手や読者に伝えることであり,そのためには,使い古されていない新鮮な喩えが必要とされます。私などは、滅多に見事な使い方ができないのですが、まれにヒットすることがあります。そういうときはクライエントさんに明らかな認識反射が現れるので、すぐわかります。