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スレッドNo.98

老子でジャーナル

老子第18章
 大道廃(すた)れて、仁義有り。智恵出でて、大偽(たいぎ)有り。六親(りくしん)和せずして、孝慈(こうじ)有り。国家昏乱(こんらん)して、忠臣有り。

 大いなる道が失われると、愛と正義の道徳が強調せられ、さかしらの智恵が発達すると、人為の掟が盛んに作られる。家の中がもめてくると、親子の道徳がやかましく言われ、国の秩序が乱れてくると、忠臣の存在が騒ぎ立てられる。

※浩→この章は老子の文明批判の立場、風刺と逆接の論理を最も明快に示すものとして、古来ことに有名です。特に最初の「大道廃れて仁義あり」と最後の「国家混乱して忠臣あり」は日本でもしばしば引用されて現在に至るまで広く人口に膾炙していると、福永光司先生。
 人々が正しい生き方をしていたらわざわざ仁義ということを考える必要はありません。最近ますますモラルが低下していくようです。自分勝手な人が増えました。情報・知識がたくさん入ってきて知恵がつくと巧妙な犯罪が増えるのは、特殊詐欺が好例です。家の中がもめているからこそ、親子の道徳が必要とされます。でも現在は、家庭崩壊や育児放棄夫婦不和などが蔓延していながら、さほど道徳は叫ばれていないようです。世の中“ジコチュウ”だらけです。うっかり指摘しようものなら、逆ギレされてひどい目に遭います。内政が乱れている国ほど愛国心を強要します。住みよい国であれば愛国心は自然と国民の中に生まるものです。平和で国政に不満がなければあえて愛国心を説く必要はないでしょう。
 この章で老子は問題点を指摘するだけで解決法は言っていません。老子は何が言いたいのでしょうか?愛や正義が必要なのは確かです。老子は儒学のアンチテーゼで、仁義を叫ぶ前にもっと根本的な要因があると言いたいのでしょう。それは、「道」がうまく機能していた太古に復帰すること、無為自然に帰ることだと言ったのでしょう。人類は古来、集団で生きていかなくては生き延びることができませんでした。自分自分と主張していたら生きていけません。現代は文明の利器が発達して一人でも生きていけるような環境になって、それで「個」の意識が強くなって、“ジコチュウ”が蔓延したのでしょう。
 老子18章で言っていることは、すべて今の日本に当てはまりそうです。本当に幸せな世の中とは何なのか考えないといけませんが、“令和元禄”よろしく、国民みんな浮かれているのではないでしょうか?おっと、自分もそうなっているかもしれません。自戒自戒。

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