MENU
451,690

スレッドNo.1037

アイビーの俳句鑑賞 その2

アイビーの俳句鑑賞 その2

1 美しき変体仮名や板歌留多 (玉虫さん)
ちとせさんが1026の記事に写真を貼っていただいたお陰で、「板歌留多」とか「下の句歌留多」というものが世の中にあると初めて知った。紙ではなく板に、それこそ変体仮名も駆使した歌留多で、下の句だけを読み手が読むという、ちょっと初心者では無理かなというルールだ。歌留多の達筆もさることながら、普段目にしない変体仮名がまことに美しい。ここまでくると、単なる正月の遊びの域を越え、芸術か工芸と呼ぶのが相応しいように思う。いずれにせよ雅やかな正月らしい句になった。

75 末の子も十八番一枚とる歌留多 (尾花さん)
これも歌留多取りの句。幼い子もお姉さんたちに混じって歌留多取りに加わったのはよいが、お姉さんたちのようにはいかない。出だしだけ聞いて、ひったくるように取っていくお姉さんたち。それでも心優しいお姉さんがいて手加減をしてくれた。やっとの思いで1枚取れた嬉しさと言ったらない。天にも昇る心地だ。幼い末の子の燥ぐ様子が目に浮かぶようだ。正月らしい和やかな句。

81 熱燗で並ぶ徳利響く鐘 (和談さん)
除夜の鐘を聞きながらしみじみと行く年、来る年に思いを馳せる和談さん。いける口の和談さんなら当然、素面ということはないだろう。熱燗が無くては始まらない。それにしても穏やかな年越しだ。十分に現在の境遇に満足している和談さん、思うことはあるにはあるが欲を言えば限が無い。そんな心境だろうか。座五を「響く鐘」としたのは季重りを避けるためだろうが、私は季重りを気にせず「除夜の鐘」でよいと思う。あくまで除夜の鐘が主題で、熱燗は単なる小道具に過ぎない。

19 毛糸編む首肩まはし毛糸編む (帷子ノ辻さん)
特選に頂いた句。もうどのくらい毛糸を編んでいるのだろう、単調で肩の凝る作業、おまけに目も疲れてきた。小休止して肩をぐるぐる回してみる。少し楽になったので再開する。
ここで作者は実に大胆な技法を用いた。上五で使った「毛糸編む」のフレーズを座五でも繰り返したのである。こうして小休止前の作業を再び始めたことを雄弁に語って間然する所がない。恐れ入った次第だ。参りました。

53 車椅子砂利砂利参る初詣 (悦ちゃんあらさん)
年老いた親の車椅子を押して初詣に誘い出した心温まる情景を詠んだ。参道には玉砂利が敷き詰められており、大勢の参拝者が踏んで行く、間断なく続くその音がいかにも初詣らしい雰囲気を醸し出している。ただ砂利砂利と二度繰り返し使っているのは、オノマトペの「じゃりじゃり」に通じるが、さてどうしたものだろう。率直に言って私は賛成しかねるのだが。

54 大根は白足袋履いた京美人 (無点)
惜しくも無点となった。大根を白足袋の京美人にたとえたところはなかなかにユニークな見立てだ。ただ京美人となると楚楚とした佇まいを連想する。対して、大根は健康そのものの庶民性がウリの野菜というのが一般的なイメージではなかろうか。おそらく入点が伸びなかったのはそこらのギャップにありそうな気がする。

以下次号、不定期掲載

引用して返信編集・削除(未編集)

以下は茶々さんからのメールです。
 「アイビーさん、ご講評有難うございました。
実は54番の大根の句、かって山下 清画伯様が「大根足は美人だな」と言っていたものです。
大根を収穫して思い出し作りました。京都の人には失礼かもしれませんが、お許しを願います。」
とありました。

引用して返信編集・削除(未編集)

アイビーさん、75番の歌留多の句の感想をありがとうございました。
3人の孫がまだ幼かった頃歌留多をすると、末の子は兄ちゃんや姉ちゃんのようにとれなくて泣きだしてしまうので、一枚だけ教えておきました。「むらさめの・・・」と言ったら「きりたちのぼる・・・」をとるんだよ、と。 それ以来、末の子はその歌が十八番(おはこ)となりました。 この頃は3人とも互角に戦えるようになったが懐かしい思い出です。

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年01月20日 21:57)

アイビー🎵さん。そしてネット俳句の皆さんの俳句後のご感想等⤴️⤴️とても楽しく読ませていただいてます😃。今回の53番の俳句の事です。ご指導とご意見ありがとうございます。伊勢神宮に私の友人は毎年元旦か二日に参拝してます。そしてご家族に車椅子の人を今年はお孫さんがずっと押してくれたと話してくれました。そのほほ笑まし様子を俳句に詠んでみました。

引用して返信編集・削除(未編集)

このスレッドに返信

このスレッドへの返信は締め切られています。

ロケットBBS

Page Top