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スレッドNo.1327

アイビーの俳句鑑賞 その4

アイビーの俳句鑑賞 その4

5 目の前の山も消しつつ春の雪(棚釜さん)
名園などでよく借景という言葉を聞く。この句の「目の前の山」もその借景に当たるのではなかろうか。春の雪だからおそらく粉雪が雪しまく感じではなく、大きな牡丹雪が空から舞い落ちて来るイメージだ。それも降っても降っても際限なく降る。遠山の輪郭もおぼつかぬほど降ったが、そこは春の雪、そこはかとなく艶めかしい風情すらある。映画のラストシーンを思わせる、情感たっぷりの句。

15 鳥獣の慟哭深き涅槃絵図 (ウグイスさん)
この時期、お寺などで涅槃図が公開される。釈尊入滅の様子を描いたものだ。筆を執った絵師は、無論その現場に居合わせた訳はないから想像で描いた。見てきたような嘘だが、そこはプロ、仏弟子や衆生の嘆き悲しむ様が実に真に迫っている。彼らは一応人間だからわからんでもないが、釈尊の徳を慕って集まってきた鳥や獣はどうか。動物が泣く道理がない。ところが練達の絵師にかかると動物ですら泣かせてしまうから恐れ入る。それがまた巧みなのだ。「慟哭深き」という表現に納得がいく。

44 耕耘機進む後ろの土の色(ヨシさん)
季語は耕耘機。耕す、あるいは耕耘機を季語にした俳句は数多いが、この句のように土の色に着目した句は珍しく、とても新鮮だ。中七の「進む後ろの」が巧みだ。みるみる土が掘り返されて土の色が劇的に変わっていく様を視覚で追っていく手法が斬新だ。品詞的には「進む」だけが動詞であるが「進む後ろ」と巧みに名詞化した。このため実質的には動詞を使わないで、それでいながら句に動きを出すのに成功している。

84 甕に足掛けて水飲む猫の春 (おだまきさん)
春、猫と来れば恋猫と言いたくなるが、趣向を変えて猫の春にしたところが心憎い。淡々と事実だけを描写しながら、甕の大きさ、猫の敏捷さを表現して間然とするところが無い。あるいは別に猫の春でなくても、猫の秋でも猫の夏でもよいと異論が出るかもしれないが、私は猫の春でなくてはならないと思う。句全体の雰囲気が春そのものであり、猫の春は動かないと思うからだ。

46 まどろむやつちのこと化す雛の夜 (かをりさん)
63 本売つて私雨の春山辺 (かをりさん)
両句ともかをりさんの句としては珍しくそれぞれ1点の入点に留まった。しかし私は、両句とも美しい日本語が紡ぐ「かをりワールド」が遺憾なく展開された句だと思う。どういう理由で雛の夜がつちのこなのか、あるいは本を売ることと雨の山辺とどういう関係があるのかなどと愚問を発してはいけない。その辺りが「かをりワールド」たる所以なのだから。読み手はかをりワールドに身を委ね、美しい言葉の世界に耽溺すべきなのだ。まどろむ、雛(ひいな)の夜、私雨(わたくしあめ)、春山辺、なんと繊細で美しい言葉だろうか。なお私雨は局部的に降る雨、あるいは山に降って麓では晴れているような雨のこと。

105 今日木曽の林業大の卒業式 (無点)
既に作者が名乗り出てしまっているので、ここで取り上げるのも気が引けるが、私が何故か魅かれる句だ。林業大でまず意表をつくが、木曽で納得。なんの作為も無く、ただ事実だけを述べたような句だが、どこにそんな魅力があるのだろうか。やはり句の醸し出す雰囲気としか言いようがない。

アイビーの俳句鑑賞 完

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過分にお褒めいただき、恐縮です。
いいなあとおもった言葉を重ねて十七音にまとめるのは楽しいです。
毎月10句ほどしか作れませんが、このネット句会のおかげで飽きっぽい私も俳句を続けられて、感謝しております。

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