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スレッドNo.1657

アイビーの俳句鑑賞 その2

アイビーの俳句鑑賞 その2

嬰児は神の賜物子供の日 (ゆめ)
起きていても寝ていてもあどけない嬰児を見ていると、やはり神様からの贈り物のように思えてくる。現実の社会は世知辛くても、子どもだけは誰某の子というのでなく、社会全体の責任で育てなければと思う。嬰児はえいじ、ややこ、ちのみご、みどりご、と読み方が割れるが、4音に限定すれば、ちのみご、みどりごのどちらかになる。こういう場合はルビをふるのもひとつの方法かと思う。

原っぱの空無限大夏来る (玉虫)
空は無限大である。何を分かり切ったことを、と言う勿れ。障害物が何もない原っぱであったとしてもだ。空が無限大になったのは、夏が来たからなのだ。無理筋でもなんでも強引に断定すれば、そこに詩情が生まれる。俳句に因果関係を持ち込むのは不可だが、ハチャメチャな因果関係なら詩になる。

素麺が喉走り去り夏来る (ラガーシャツ)
口当たりの良い素麺を勢いよく啜る、よくぞ日本に生まれける、とつくづく思う季節になった。俳句の憲法1条は季節感、となればこの句などは申し分ないが、当然異論もあるだろう。素麺が夏の季語であるから、座五の「夏来る」は蛇足という指摘も。もっともな指摘だ。そこで  素麺をするりと啜り王手飛車 このように発想を展開させるのも面白いかも知れない。

降り注ぐ囀り亡骸のポーズ (弥生)
ヨガのポーズとは知らなかった。無知を恥じ入るのみ。

彫刻の龍の眼力山車過ぐる (弥生)
半田市は山車文化の栄えたところで、今年の秋には市内の山車31台が揃う山車祭りが計画されている。山車と言えば彫刻、彫常こと初代新美常次郎や立川流彫刻の粋を極めた彫刻が姸を競っている。彫刻の図柄では、やはり龍虎相撃つの図が好まれる。彫刻の龍に眼力があるとは、流石名人の腕の冴えはたいしたものだ。龍の目が死んだような目だったり、虎だか猫だか分からないようでは興ざめだ。

柏餅食べて日本に骨埋める (ABCヒロ)
この句の解釈は色々できるが、私は、おそらくブラジルあたりから働きにきているのだろうか、日本での生活が長く、生活の基盤も日本にある外国人家庭を想像する。日本の風習にもすっかり慣れ、言葉も不自由しない。端午の節句には、日本流に柏餅を食べ、子どもの健やかな成長を祈る。「日本に骨埋める」その覚悟たるやよし。

かたくりの叱られて花咲くばかり (無点) 
惜しくも無点となったが、最初この句を読んで思わず吹き出した。かたくりの花(堅香子ともいう)は愛知県では三州足助が有名だが、どういう訳か花が俯いて咲く。というより、下向きに咲く。その様を「叱られて」と見立てたのがユニークなところ。

以下次号、不定期掲載 

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・かたくりの叱られて花咲くばかり

かたくりの花が楚々と咲いている様子が読めて好きな句です。
足助の飯盛山には何度か行きましたが、3年程前に行った時気になる草が生えていたので、土地の方に聞いたところその草は「キツネノカミソリです。」と言われました。では夏に来ればキツネノカミソリが見えますね・・・? と伺うと、実はその草はかたくりを次々と枯らしてしまう草なので困っているのです。かたくりを保護するためには、キツネノカミソリを排除しなければならないのですが、大変な労力のいることで観光協会と町も頭を痛めているところです。と。
「キツネノカミソリ」とはいかにも厄介者か嫌われ者の名前のようですが妙に納得しました。
名前の割には、花は彼岸花に似た黄色の綺麗な花です。茶臼山の近くで群生地があり山を少し登って見てきたこともありました。
足助のかたくりは、これからも是非守っていって欲しいです。大変でしょうが頑張ってキツネノカミソリを排除できますように。

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素麺をするりと啜り王手飛車

 特選に戴きます。もう、参ったなあ。先を越されましたわ。

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