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スレッドNo.1660

アイビーの俳句鑑賞 その3

アイビーの俳句鑑賞 その3

三段の夜行寝台昭和の日 (尾花)
着眼が面白い。昭和の寝台車は輸送効率を優先のため三段式ベッドだったが、窮屈で寝返りも打てないような有様だった。今でも三段ベッドがあるのだろうか。寝台車に限らず在来鉄道の旅は日本人の郷愁を誘う。新幹線や飛行機には無い、なにかがあるようだ。作者自身も寝台車に纏わる思い出があるのだろうか、それにしても昭和は遠くなった。

風薫る異動決まった帰り道 (コビトカバ)
人事異動の内示があった。これは私の勝手な想像だが、昇格を伴った異動と見たがどうだろう。ただ持ち場が変わるだけの異動と違い、より重要な責任のあるポストへの異動である。もとより内心ひそかに期していたことだろう。上五の「風薫る」がそれを暗示している。コビトカバさんはバリバリの現役世代とお見受けするが、なにも俳句は老人の専売特許ではない。これからも現役世代ならではの視点での句作に期待したい。

米寿など途中駅とて草を取る (てつを)
一転してベテランの味わいの句。米寿は八十歳のこと。私よりてつをさんは僅かに年上とお見受けするが、年配者の偽らざる心境として、時間の経過は一本の棒のように連続しているのであって、喜寿、傘寿の節目だからと言って格別の感慨は無いものだ。言ってみれば通過地点に過ぎない。周りは節目の慶事と祝ってくれる。それはそれとして素直に受け入れるのが年長者の分別だろう。この句は中七に切れを入れず、「とて」と接続助詞を入れ一物仕立てにしてあるが、句意としては二物取り合わせの句とも取れる。どちらがよいかは、好みの問題だろう。

道に土こぼし田植えの終わりたる (森野)
機械植えが普及した現代の田植風景は昔のそれとは趣を異にする。一族郎等が勢ぞろいした昔の田植と違い、拍子抜けするほど呆気なく終わってしまう。それでも道や畦のそこかしこに泥を落として、ああ田植が終わったなあと分る。昔も今も、田植が農家の一大事業であることに変わりはない。

美しき兄の草笛聞きし頃 (森野)
上五に「美しき」としたことにより、で森野さんとお兄さんの麗しい関係が分かる。それはただ草笛の音色が美しいに留まらず、幼い森野さんにとってお兄さんは、なんでも教えてくれた頼もしい兄であり、やさしかった兄を暗示しているのだ。長じて青年期、壮年期を経て、それぞれの家庭を持っても、会えば昔の兄妹なのだ。

小籠包の桜風味に春惜しむ (ふうりん)
ふうりんさんは季節それぞれの食べ物の句を出句される。しかも毎回違った趣向で読者を楽しませてくれる。今回は中華料理の定番ともいうべき小籠包の登場だ。桜風味というのがよく分からないが、おそらく色や全体の雰囲気を含めて桜風味としたのであろう。季語の「春惜しむ」が動かない佳句だ。

孫集ひ筍飯や背比べ (和談)
普段はなかなか行き会えない一族が、珍しく全員揃う機会があった。食べ盛りの子どももおり、掘ったばかりの筍で筍飯を炊いた。何時もの夫婦二人だけの食事と違い、どんどん減っていくから作った方も張り合いがあるというものだ。和やかで楽しい食事風景。ただ俳句は17音という制約があり、あまり色んな要素を盛り込むとせせこましい俳句になるので気をつけたい。掲句の場合、背比べを割愛して、孫たちの食べっぷりに焦点を当てたらどうだろう。筍飯一升炊いて孫を呼ぶ  とか。

めがね屋に数多のめがね昭和の日 (無点) 
めがね屋に眼鏡があるのに不思議はないが、何ともとぼけた味を出している。惜しくも無点句となったが、このとぼけた味わいは捨てがたい。季語の「昭和の日」にあっている。何があっていると聞かれても困るが、AI俳句には無いヒューマンな味わいを楽しみたい。

以下次号、不定期掲載 

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尾花さんへ

爽やかに働けたらいいなと思ってます。元気が出るお言葉ありがとうございます!
頑張ります(^_^)

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コビトカバさんへ

新しい勤務先へワクワクしながら出勤するなんていいですね!
新しい職場で、仕事や人に慣れるまで、気苦労があると思いますが、初夏のさわやかな風の中、溌剌と出勤する姿とても素敵です。頑張ってくださいネ。

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自分の句に感想を頂けるととても嬉しいです。
新参者で俳句も初心者なのでここでスレッドを挙げるのもまだまだ緊張します。
アイビーさん、異動が決まったのは私ですが栄転ではなく、働く内容は変わらず働き先がかわります!
新しい働き先にワクワクしている気持ちを風薫るに託してみました。

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昭和42~43年と言えばわたしが二十歳になったっかならぬかの頃、これで尾花さんの大体の年齢が推定できます。前回の東京オリンピック、マラソンの円谷、東洋の魔女のニチボー貝塚ですね。昭和34年の安保闘争、同じく伊勢湾台風、これらをリアルタイムで体験した人は同世代人とみて差し支えないでしょう。
私らの若い時は右肩上がりで、少なくとも働く場所が無い、というようなことは無かったわけで、今の人はそれだけでも大変だなあと同情します。兵隊に取られる事もなく、恵まれた世代だったと思いますよ。換言すれば、親の世代より高学歴、高身長、高所得が常識でした。
それもここへ来てだいぶ怪しくなってきました。
三段式寝台車の話をするつもりが、とんでもない方に脱線しました。

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米寿は八十八歳ですね、どこで間違えたんだろう。

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・三段の夜行寝台昭和の日
この句を鑑賞してくださりありがとうございました。
昭和42~3年の頃、友人3人で東北へ旅行したことがありました。上野から夜行寝台で盛岡まで。
詳しいことは忘れましたが7~8時間かかったような気がします。 三段ベットの上段は少し余裕があったように思いますが中段下段は座ることも窮屈で寝るしかない状況。 
朝早めに目が覚めすることもないので寝具など片付けようとゴソゴソやっていたら、回ってきた車掌さんに「片付けるには手順があるので余計なことはしないでください」と叱られて。
十和田湖から奥入瀬。青森から五能線で海岸線の美しい景色を堪能。深浦でも一泊。そして男鹿半島の入道岬へ。ユースホステルを使ったケチケチ旅行。半世紀以上前の昭和の思い出です。

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米寿は八十八歳では。

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