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スレッドNo.1673

アイビーの俳句鑑賞 その4

アイビーの俳句鑑賞 その4

鯉のぼりこわごわ触る子の笑みや (令淑)
鯉幟の句は沢山あるが、勢いよく風をはらんで泳いでいる様、少し斜に構えて無風状態のしょぼくれた鯉幟、役目が終わり地上に下りた鯉幟と多様で、料理のし甲斐のある題材だろう。掲句は地上の鯉幟を子が恐る恐る触る、その様子に焦点を当てたところが作者のお手柄だ。ただ座五に切れ字の「や」を持ってきたのはどうかなあ。俳句の坐りがもう一つよくないような気がする。納得がいくまで推敲したいものだ。

バードデー常の如くに雀どち (ナチーサン)
毎年5月10日から16日まで愛鳥週間に定められ、全国各地で催しが行われる。東京では宮様のご臨席の下、セレモニーが挙行され、野鳥団体のバードウオッチングが各地で行われる。ただしこれは人間社会の決め事であり、当の鳥たちは、人間の世話になろうなどとは端から思っていない。自然界の掟に従い、種の保存のための営みを行っているのだ。

フフフフフ我が小庭もや薔薇の園 (ちとせ) 
丹精の薔薇が見事に咲いた。自分が手塩にかけたと思えば、なおのことで満足感にひとりでに口元が緩んでくる。「フフフフフ」に説明は要らないだろう。坪内稔典の代表作「三月の甘納豆のうふふふふ」を髣髴とさせる。

蔵町の運河彩る鯉のぼり (ちとせ)
半田運河の鯉のぼりを詠んだ。毎年晩春から初夏にかけ、運河べりに百旒ほどの鯉幟が泳ぐ様は半田の風物詩となっている。運河に沿いミツカンや清酒国盛、亀甲冨の醸造蔵が立ち並び、これらの蔵は黒を基調としたモノトーンで、落ち着いた雰囲気を醸し出している。そこへ真鯉、緋鯉の鯉幟が翩翻と泳ぐ様子は、対岸の柳の並木と相まって一際鮮やかだ。ちとせさんはこの景観を外連味なく綺麗にまとめた。

ふうわりと軽き嬰児や花祭り (ヨシ)
嬰児は「えいじ」ではなく「ややこ」「あかご」どちらかで読みたい。花まつりは言うまでもなくお釈迦様が生まれた日で、多くは4月8日前後に仏生会あるいは花祭りとして、甘茶を釈迦誕生仏にかけて祝う。「天上天下唯我独尊」という例のフレーズで知られる。仏教行事にありがちな厳粛さはなく、光明に満ちた喜びの行事でもある。嬰児と花祭り、この取り合わせが良いと思った。生まれたばかりの微かな存在ながら、生命の躍動を感じさせる。特選にいただいた。

止みさうな雨の日永を持て余す (中安田)
「日永」は春の季語。物理的に日が長いのは夏至の頃だが、心理的に日永を感じるのは春ということ。日脚伸ぶ、遅日、明け易し、夜長などの季語はいずれも心理的な主観に基づいた季語だ。日暮れまで間があり、一仕事片付きそうだがあいにくの雨。この雨、やみそうだが止まない。さてどうしたものか、思案投げ首の作者。誰にでも経験あることを巧みに詠んだ。俳味たっぷりの佳句。

春の蚊のどこかへ行つてしまひけり (無点) 
惜しくも無点となったが、これも俳味を感じさせる句だ。春の蚊はそれほど執拗ではないから当方も真剣に追わない。これが夏の蚊となると、ただではおかぬとばかり必死に追い詰め、親の仇のように打つ。秋の蚊となると、弱々しく出てきて呆気なく打たれる。で、春の蚊。いつの間にか何処かへ行ってしまったようだ。

アイビーの俳句鑑賞 完

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