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スレッドNo.1990

アイビーの俳句鑑賞 その4

アイビーの俳句鑑賞 その4

病葉の流れゆくもの沈むもの (てつを)
病葉は夏落葉と混同されることが多いが厳密には異なる。病葉は時季でもないのに病気か何かで黄ばんだ葉を言うのに対し、夏落葉は松や杉などの常緑樹が夏に落葉することを言う。病葉が川に落ちて、あるものはそのまま流れ、あるものは沈んでしまう。病葉そのものには何ら差異があるのではない。作者はこの自然界の摂理を、広く人間社会に敷衍させている。人間の努力や能力を越えた何かがあるのだ。十年ほども前になろうか、トム・ハンクス主演の「フォレストガンプ」のラストシーンを髣髴とさせる。

孫の手に曳かれて潜る茅の輪かな (和談)
広い意味で孫俳句だが、そんな事に関わりなく、情景を素直に詠んだ佳句だと思う。中高年の俳人にとって孫は一番身近な存在で、句材なのだ。一律に孫俳句だからダメというのは理不尽な気がする。あくまで俳句次第だろう。

託したき我が老いの身を水中花 (和談)
6点の支持を集めた。作者自身の老後と水中花の取り合わせが新鮮だ。私としては、何をどう託すのかイマイチ分かりにくいように思うのだが。そんな瑕瑾を補って余りある水中花の美しさがこの句の生命線だろうか。

姫女苑生き様しかとそこかしこ (ヨヨ)
姫女苑は外来植物だそうで、その所為か随分と生命力が強いのに驚く。花自体は見苦しい花ではなく、それなりに可憐なのだが所かまわず咲き、なおかつ咲いている期間が長い。作者はそんな姫女苑を擬人化して「生き様」と把えた。なるほどと思わざるを得ない。

掌に濡れて色濃き茄子の紺 (茶々)
掌は「てのひら」と読まないと字数が合わない。俗に茄子紺というが、完熟した茄子は茄子紺というより黒である。まして水に濡れた茄子ときたら、惚れ惚れとするような黒さである。物みな実る充実の夏、茄子を詠んで、その実は夏および盛夏への賛歌と解釈したがどうだろう。

並走のヨット車へ手を振りぬ (花の宮)
海岸に沿った道路をドライブした時の情景を詠んだ。自動車と並走するようにヨットが行く。ヨットの進む方角と速度が自動車とがほぼ同じでなければ、この句のシチュエーションは成立しない。動詞を一つしか使わないで、この状況を完璧に説明しおせた手並みが見事。ヨットの側が手を振る、それに応えて車からも手を振る。夏らしい解放感に満ちた佳句。

農繁や膝に零るるあらひ飯 (無点句)
惜しくも無点句となったが、何故か印象に残る句だ。季語は「あらひ飯」。今日のライフスタイルからすれば絶滅寸前の季語と言って差し支えない。その珍しい季語に敢然と挑戦したのみならず、ここまで味を出したお手並みに敬意。

アイビーの俳句鑑賞 完了

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年07月25日 19:19)

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