アイビーの俳句鑑賞 その4
アイビーの俳句鑑賞 その4
35 嫌としか言わぬ二歳児秋暑し (弥生)
育児真っ最中の母親ならではの句。虫の居所が悪かったのか機嫌の悪い二歳児。いろいろ気を引くようなことをしてみるのだが、当人はかたくなに「いや」としか言わない。精も根も尽き果てて途方に暮れる作者。季語の「秋暑し」が巧みだ。よほど育児や家事に理解のある夫でも、そこまで切実なものはない。やはり女性ならではの心理の描写と言えよう。「嫌」と漢字で表記したが、平仮名にした方が二歳児の言葉らしくなるのではないか。竹下しづの女の「短夜や乳ぜり啼く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)」を髣髴とさせる。
23 夏休み駅にリュックの子のあふれ (ちとせ)
夏休みに入り、学校の行事に参加するのであろうか、リュックを背負った子どもたちが駅に溢れている。そこへ丁度居合わせたのが作者。普段とは違う駅の華やいだ雰囲気、それを見つめる作者の眼差しは暖かい。
60 放牧の牛点々と雲の峰 (ちとせ)
放牧だからよほど広い、例えば北海道や阿蘇山麓の牧場を想像する。空気が澄み、何よりも景色を遮るものが一つもない。中七の「牛点々」に実感がこもっている。雄大な大景の前に圧倒される。中七に「と」を入れたために切れが弱い。明らかに二物取り合わせの句なのだから、強く切った方がよかったようにも思われる。
17 岸壁に魚釣る人も遠花火 (尾花)
岸壁で夜釣りを楽しむ人たち。別の海岸では花火大会が行われている。まことにいい巡り合わせになった。心地よい風も出てきた、居ながらにして花火を楽しみ、これで魚が釣れれば言うことない、とかなんとか言ってるそばから当たりがあった。花火大会そのものでなく、夜釣りの人に焦点を当てたのがアイデア賞ものだ。
57 和太鼓や昭和の響きここにあり (ナチーサン)
作者は大上段から「昭和の響きここにあり」と言い切った。ここまで強い表現をされると、いっそ気持ちがすきッとする。有無を言わさぬ力ワザとはこのことか。和太鼓の腹にどーんと響く物凄さ、観客はその迫力に圧倒されるが、そこに昭和という時代に通じる何かを感じ取った作者。その感性を尊重したい。
48 携帯を翳して果つる大花火 (茶々)
花火のたけなわともなると、その模様を収めようとそこかしこで携帯のカメラをかざす人が出てくる。花火と携帯のカメラ・動画機能を結び付けた作者の着眼が面白い。ただ携帯を翳したから花火が終わったという風にも取れなくもない。その辺を少し工夫してみたい。
フィナーレにケータイ翳す大花火
60 あれもこれも忘れ爪切る夜の秋 (あかね坂)
「夜の秋」は夏の季語。日中はうだるような暑さだが、夜には秋らしい風情を感じる時がある。これが「夜の秋」だ。「秋の夜」とひっくり返ると秋の季語になるのが面白い。日中、何やかと煩わしいことを忘れて爪を切る。ふと秋の気配を感じた。昼間の煩わしい感じを出すために、意図的に上五を字余りにした。これが効果的。
完
アイビーさん取り上げて頂き有り難う御座います。
夏休み駅にリュックの子のあふれ
東京駅帰省や旅行の家族が溢れていて連れの子達は必ずリュックを背負っていました。自分は自分でと言う事が親子の間に浸透しているのでしょうか。家の孫然りです、宝石箱が入ってる時もありましたね。
48 携帯を翳して果つる大花火 (茶々)
この夜長岡花火大会の放映があると知り茶々さんにも知らせ勇壮なまた繊細な芸術の競演を堪能した。花火師の裏話なども興味深かったがフィナーレで会場を埋めた観衆が一斉に携帯を翳し別れを惜しんだ。多分演出だと思うが夜空に瞬く携帯電話の明かりが神秘的な雰囲気を醸し出していた。多分茶々さん苦心の作だと思われるが結局私は表現出来なかった事を告白。