アイビーの俳句鑑賞 その3
アイビーの俳句鑑賞 その3
例によって、アイビーの俳句鑑賞3原則に則っての駄文です。お気に障ったら平にご容赦。異見、反論大歓迎。
老世帯の路地に産声菊日和 (ちとせ)
私の住んでいる地域でも老人世帯と空家ばかりが目立つようになった。この路地の場合も少子化のご多分に漏れず、とんと子供を見かけなくなった。そんな中、数少ない現役世代の家庭に赤ちゃんが生まれたという。久しぶりに明るい話題で、町内もいっぺんに活気が戻ったようだ。折から、よく晴れて爽快な菊日和だ。読み手の気持ちまで明るくなる佳句。
また一つ神事消えゆく秋祭 (弥生)
本来、氏神様の行事である筈の祭礼が、地域起こしの客寄せとなった感がある。古老の嘆くのも無理は無い。住民の側も祭りの由来や意識が薄れ、単なる娯楽のひとつになっている。故事や由来に無関心だから神事を省略してもことさら異としない。そうした風潮を織り込んだ句だが、作者はこうした風潮に批判的だ。近く半田山車まつりがあるが、これなど神社とは全く関係が無い。
ややこしき十四歳や新松子 (尾花)
今月のトップに並ぶ句。14歳というのが非常に微妙で難しい年齢だ。高校受験を控え、心が揺れ動き不安定な時で、反抗的な態度も取る。それが普通で、そういう過程を経て大人になっていく。座五に季語「新松子」を斡旋した。成長過程にある14歳を暗示しているようだ。
今日こそは番狂わせの夜長なれ (ラガーシャツ)
番狂わせとは何の競技だろうか。普通に戦えば実力上位の者が勝つが、作者は番狂わせを期待している。つまり弱い方を応援しているのだ。将棋の王座戦とすれば、藤井七冠ではなく永瀬王座を応援していたのだろうか。あるいはプロ野球か、大相撲の秋場所か、いやサッカー、ラグビーというのも考えられる。今年の秋の夜は何かとかまびすしい。
葬儀後の帰路や別れの秋の蝶 (ダイアナ)
知人の葬儀に参列した帰りに蝶を見た、言葉にすればこれだけのことだが、多くのメタファーを含んでいる。よほど親しい仲の友人かとも想像する。「別れの」は「秋の蝶」にかかっているが、その実は、故人との永訣の意であることは明白。そこに作者の故人に対する愛惜の念が見て取れる。
虫集く地球公転音幽か (ダイアナ)
地球は24時間かけて自転しつつ365日かけて太陽を一周する。これを公転というが、公転するのに音がするとは驚いた。考えてみれば、時速11万キロという途方もないスピードで公転しているのだから音もするだろう。その音が幽かにしか聞こえないほど、虫が集まった。奔放な想像力が生みだした不思議な味わいに魅かれた。
善も悪もこの星のもの鳥兜 (高田井)
鳥兜という植物は秋に紫色の花が咲き、見た目には美しい。が、如何せん、根の部分に猛毒があり、何年か前に「トリカブト殺人事件」もあった。このためおぞましいイメージで語られる植物だ。美しいけれど毒がある、このイメージを上五、中七のアフォリズムに擬えた。季語としても鳥兜は珍しく、一ひねりした趣向が共感を呼び7点の支持を集めた。
以下次号、不定期掲載