アイビーの俳句鑑賞 その4
アイビーの俳句鑑賞 その4
例によってアイビーの俳句鑑賞三原則に則っての駄文。お気に障る向きには平にご容赦。
歌ふやうに絵筆が動く紅葉山 (ヨシ)
上五、中七の「歌ふやうに絵筆が動く」がまことにユニークで秀逸だ。ちょっとやそっとで類句や類想にはならない独創がある。それでいながら読み手が膝を打ってなるほどと同感する。俳句とは、つまるところ場面の状況が手に取るようにわかり、共感を得ることに他ならないと再認識した。
冬萌や孫より下がるスニーカー (ナチーサン)
衣類などを、年長者から年少者へ下げるのは私たちの年代の者には常識だが、この句は逆に孫から祖父に下げた。孫の成長が早くてスニーカーが窮屈になったのであろうか。おじいちゃんは小柄な部類なので履けそうだ。試しに履いてみたら頗る調子が良い。かくて孫のお古のスニーカーはおじいちゃんがもらい受けることとなった。早速このスニーカーで、冬萌の野や公園に出かけるとするか。微笑ましい一句。
咲き競う小春日和の齢草 (和談)
齢(よわい)草とは何だろうかと検索したら、どうも菊の別名のようだ。小春日和と菊で季重なりを避ける配慮があったものか。あるいは、延齢草という植物もあるので、ここは作者自身の説明を聞きたいところだ。
店頭に辰の装い暦売 (和談)
先だっても本屋をのぞいたら、来年の暦、カレンダー、日記、システム手帳といったアイテムが、ところ狭しと平積みになっていた。今年もそんな季節になったのだなあ、と改めて感じたことであった。来年は辰年ということで、竜にちなんだ飾りつけや工夫を凝らした品ぞろえで、顧客の購買心を掻きたたせる。この商魂、何処も同じ年末風景だ。
大根焚参道埋める老いの声 (ヨヨ)
大根焚というから、浄土宗のお十夜のことであろうか。参拝者や講中の信徒に振舞う煮炊きも楽しみの一つだ。参道前の賑わいも雰囲気を盛り上げる。お十夜にしても浄土真宗の報恩講にしても、集まるのはどうしても老人が多くなる。冬の仏教行事は信心深い老人の心の拠りどころでもある。
日向ぼこだうやら医者の品定め (門柳)
中高年ともなると持病の一つや二つはあるものだ。顔見知りの老人仲間が焚火を囲んで四方山話に花が咲く。聞くとはなしに聞いていたら、どうやら医師の品定めが始まったようだ。どこそこの先生は不愛想だが腕は良いとか、大先生はよいが若先生が頼りないとか、医者談義は果てしなく続く。平和そのものの焚火風景だが、口コミの恐ろしさを再認識させられる。
少子化の世に薩摩藷の子沢山 (茶々)
かをりさんの句評にアイロニーという言葉が出てきたが、なるほどそういう把握の仕方もありそうだ。薩摩藷を掘った時に、地下茎で繋がった薩摩藷がビックリするほど沢山収穫できた、その驚きを素直に句にしたら「子沢山」という表現になった。前段に「少子化の世に」と振ったことで、思いがけず社会時評になった。
金鈴子空へと綺羅を広げをリ (無点)
惜しくも無点句となったが捨てがたい句だ。金鈴子は栴檀、あるいは楝(おうち)の実のこと。つるつると美しい実を綺羅と表現したところに作者の工夫がある。なお、掲句は金鈴子という言い方をしているので問題ないが、栴檀、楝の場合は、花が夏の季語なので栴檀の実、楝の実としなければならない。南天は、ただ南天と言った場合は実をつけた南天で、夏の花は南天の花と言わなければならない。
アイビーの俳句鑑賞・完
門柳さんの「日向ぼこ」の句を鑑賞したつもりで、何時の間にか「焚火」に変わってしまった。大変失礼をいたしました。まあ、日向ぼこでも焚火でも、雰囲気的には大差がないから勘弁して下さい。