アイビーの俳句鑑賞 その4
アイビーの俳句鑑賞 その4
例によってアイビーの俳句鑑賞3原則に則った駄文。お気に障ったら平にご容赦を。
甲羅干しの陣取り落ちて亀の鳴く (ちとせ)
池や川などに亀が何匹も甲羅を干す光景をよく見る。亀の上に亀が重なったり、そうかと思うと水に嵌まったりと亀の生態は見飽きがしない。いかにも長閑な春の光景を詠まれたが、季語の「亀の鳴く」は再考願いたいところ。前半で亀の生態を描写し、後半で亀を鳴かせたら、本当に亀が鳴いたのかと読み手は判断する。勿論、現実の亀は鳴かないし、読み手の側も亀が鳴かないことは承知している。爛漫たる春の気分を象徴的に言ったものが「亀鳴く」の本意だと思う。候補として、うららけし、水ぬるむ、春の昼、等を上げてみた。
来年の再会約す花の山 (ヨシ)
待望の桜が満開だ。上々の天気に恵まれたある日、久闊の友達を誘って花見に行った。果たして期待した以上に見事な桜だったなった。十分に桜を満喫した帰り、また来年もここへ来ましょうと約束して友と別れた。もって回った難しい表現をしないで、分かり易くまとめたのが好感が持てる。ために、非常に印象のはっきりした後味のよい句になったと思う。
田楽は妻の十八番(おはこ)や味噌香る (ふうりん)
おでん(関西風に言えば関東炊き)は冬の季語だが、豆腐を短冊に切り、焼き、味噌をつけ食べる田楽、木の芽田楽は春の季語。京都を中心に関西では一流料亭で供される。妻の十八番(おはこ)と言うからには、料亭ではなく家庭料理として食べることも一般的なのだろうか。食べ物の句はおいしそうに詠むのが鉄則だが、座五の「味噌香る」が効果的で、なにやら旨そうな匂いが漂ってくるようだ。
花びらを追ふ花びらの速さかな (ナチ―サン)
一切の状況説明を省略し、水に流れる花びらの動きのみに焦点を当てる手法が成功した。上五、中七で「花びらを追ふ花びらの」とやったお手並みはまことに鮮やか、省略の極みだ。リフレイン効果もあり、緊張感のある引き締まった句になった。省略のお手本のような一句。
三井寺の鐘が鳴るなり桜散る (茶々)
近江八景のうち、名高い円城寺(三井寺)の晩鐘と落花飛花と取り合わせたところがお手柄。もっとも作者は「鐘が鳴る」としか言っておらず、晩鐘とは言っていないが、ここはどうしても晩鐘でなければおさまらない。晩鐘が落花を促すようで、雰囲気を醸し出している。「鳴るなり」と「桜散る」と切れが二つあるが、「鳴るなり」が切れ字を使った極めて強い切れ、「桜散る」も強い切れながら「鳴るなり」には及ばない。切れにも強弱があり理に適っている。
花冷えや一枚羽織り小買物 (無点)
惜しくも無点となったが、桜そのものを詠むのでなく「花冷え」というワンクッションおいた季語に挑戦した。その意欲的な姿勢を見習いたい。ただ私が気になったのは①花冷え→②寒い→③一寸外出→④何か羽織るもの と簡単に種明かしが出来てしまうことだ。そのため俳句の奥行が出て来ない憾みがある。
アイビーの俳句鑑賞 完
アイビーさんへ
花びらを追ふ花びらの速さかな (ナチ―サン)
ご講評有り難うございました。今回は桜に絞っての投稿でした。雨に挟まれた快晴の日曜日、すでに散り初めていました。花吹雪の中での句です。時折の風に急かされる様に舞う桜。アイビーさんは水面の桜と見られたようです。風や水いずれも自然の営みです。カメラを手に暫し見とれていました。感動の瞬間でした。
初案は下5を「一途にて」としましたが推敲の結果見たそのままの表現にしました。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は、正岡子規の俳句。
今回のネット句会に出てきたのは
「三井寺の鐘が鳴るなり桜散る」 で寺の名前を変えて前へ持ってきた「本歌取り」
元の作品を改変して別の作品にすることを本歌取りといい、詩歌の世界で古来行われてきました。
過去には沢山あり、有名な俳人、歌人でも行ってきているが最近では珍しいことです。
<例>わが天使なるやも知れず寒雀 西東三鬼
わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る 寺山修司
その良し悪しは論じないが、中7の「鐘が鳴るなり」部分があり、私は即座に外した。