束さんのコメントに想う その3
束さんは句づくりそのものについては触れていませんが発表の場としての俳壇などについて述べています。
このことについては私も疑問を持っていて例えば雑誌でも新聞でも二重投句を禁じています。何故でしょうか。複数選者がある場合同じ句でもその捉え方は異なります。誌上で選者同士の意見交換があっても良いと思います。先だってテレビで第1回NHK俳句大会の模様が放映されていました。満員の会場で彼の金子兜太と稲畑汀子が丁々発止のやり取り、ユーモアを交えた交接に場内は盛り上がっていました。爾来芸術(武術も)というものは流派があります。俳句も例外ではありません。本来俳句は自由なはず、詩としての最低の基準さえ守れば後は自己表現、この多様化の時代です。今後AIの影響も受けるでしょう。若者や外国人にも広がっています。多くの結社も後継者での悩みを抱えています。ネット俳句など時代に合った形に変貌するかも知れません。長く俳句に関わってきたものとして最後の俳句人生にどう結末をつけるのか考えてみたいと思います。