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スレッドNo.3663

アイビーの俳句鑑賞 その4

アイビーの俳句鑑賞 その4

AIの功罪半ば薄暑光 (ナチ―サン) 
AIの進歩というか進化というか、旧時代人間の私など理解の及ばないところまで行ってしまった感がある。全くどこまで行くのだろうか。作者のナチーサンさんは、功罪半ばと断じ、問題提起をした。功罪半ばとは言うものの、いくらかは否定的なニュアンスを私は読み取ったが、句は穏便な表現にとどめた。作者の真意はどうなのであろうか。季語の斡旋については賛否両論あるかも知れない。

藤咲くや吾にsorryと異国人(びと)  (ヨシ)
藤の名所で、外国人にも人気のある観光スッポトとは何処だろう。道でも訊かれたか、くだんの外国人は作者にsorryと声を掛けた。俳句の表現方法は自由である。俗語、流行り言葉、外来語、オノマトペ、なんでもありだが、遂に横文字が出てきたかというのが率直な感想だ。勿論、私は容認というより積極的賛成派である。むしろ、sorryを出せば、異国人だとすぐわかるので、あえて異国人と言う必用が無い。

草刈機刃向かふ蝮切りにけり (大伏)
蝮にすれば大変な災難だが、作者は冷静な観察者の姿勢を貫いた。とりもなおさず、作者自身がそこに面白いと感じたにほかならない。一切の感傷を排し、突き放したのである。それがこの句に乾いた俳味をもたらした。ハードボイルドな俳句。

新茶の香おーいお茶買ふ翔タイム (茶々)
新茶の香、賞品名の入ったお茶、大谷翔平と盛りだくさんの要素を盛り込んだ贅沢な句となった。ただ、あまりに多くの要素を盛り込んだために、まとまりに欠ける憾みが残った。新茶の香と言っておきながら、固有名詞のお茶を出したのはいただけない。季語の働きを削いでしまっている。新茶の香と大谷翔平選手の活躍に焦点を絞った方がよい。 

ふくよかな薫風のごと師は逝きぬ (ふうりん)
尊敬する先生が遺徳を偲んで詠んだ句。なんの先生かは知らないが、専門の技能ばかりでなく、人柄も慕われていたのであろう。先生を形容をするのに薫風と喩えた作者。麗しい師弟関係だ。人間の人格形成は、本人の努力もさることながら、それ以上に人と人との巡り合いということが大事だ。しみじみそう思う。

葉桜や華やぎ過ぎし過去のあり (無点)
惜しくも無点句となった。葉桜に、時間の経過を暗喩させる手法は私もよく使う。また俳句は説明過多になると余韻がなくなり、句が平板になる。これはどなたも経験されていると思う。しかしこの句の「華やぎ過ぎし過去」ではあまりに漠然とし、読み手に肝心なことが伝わらない。いろんな想像ができることも俳句の楽しみだ。

アイビーの俳句鑑賞 完

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