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スレッドNo.4113

アイビーの俳句鑑賞 その1

アイビーの俳句鑑賞 その1

満ち足りて吾子の寝返り昼寝かな (えっちゃんあら)
子どもの寝顔は本当に可愛い。一点の汚れもなく無邪気そのものだ。その寝顔を「満ち足りて」と捉えた作者もまた満ち足りた思いなのだろう。ただ、俳句の意味としては、満ち足りているのは吾子であることをはっきりさせたい。「満ち足りて」を「満ち足りし」にしてみてはどうだろうか。

踊の輪抜け来て主婦の顔となる (あづき)
特に女性は盆踊りが好きだ。自分が踊りの輪に入って踊れば、もう忘我の境地というか陶酔し切っているご婦人をよく見かける。盆踊りが一段落し、輪から出ると今度は主婦の顔になって、やれ忘れ物はないか、帰る算段に余念がない。オンとオフの切り替えが忙しい。到底、男の及ぶところでない。

鐘の音や吾もまた祈る原爆忌 (ゆめ)
8月は広島と長崎の原爆忌があり、15日は終戦記念日、旧盆と句材が多い月だ。澄んだ鐘の音が響き渡る広島、長崎。平和を願う庶民の心映えは何時の時代でも変わらない。

靴紐のほどけやすき日街褥暑 (弥生)
靴紐が緩んで締め直す。しばらくしてまた緩んだ。おかしいな、これで二度目だ。こういう経験は誰でもあることだ。勿論、靴紐が緩むことと、溽暑とは因果関係があるわけではない。無関係な二つの事象を、さりげなく絡めたところが俳句巧者たる所以だ。

日盛りの街は誰もが押し黙る (にゃんこ)
異常な暑さが続いている。こう暑いと人間、物を言うのも億劫になる。これは誰しも実感するところだろう。実感はするが、俳句にした人はいない。誰もが感じていることを巧みに表現した。中七、座五の「街は誰もが押し黙る」が秀逸。

鵜篝は夜風を受けてちぢれおり (コビトカバ)
この句の句の要諦は座五の「ちぢれおり」に尽きよう。鵜篝の灯が強い川風に吹かれて、瞬間的に消えかかる、その様をちぢれと表現したものか。詠む対象を思い切ってデフォルメし、大胆な表現をしたことが、この句を輝かせているように思う。

赤岳の登山小屋より眺む富士 (無点)
惜しくも無点となったが、この時期の登山の句は得難い味がある。赤岳は八ヶ岳連峰の主峰で富士山が美しく見えるスポットがある。富士山が見えて作者はどう感じたか、何か新しい発見がなかったのか、そこに言及していないのが悔やまれる。

以下次号、不定期掲載

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コビトカバさん、私はこの齢になるまで、近県に住んでおりながら鵜飼を見たことがありません。見る気になればいつでも見られるという安易な気持ちが仇になったのでしょうか。

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助動詞「し」のついて
 大府発信のライン句会ではある句をめぐって助動詞「し」の在り方について喧々諤々の議論がありました。果ては「週刊俳句」(fHaからikuweekly・毎週日曜日に交信のウエブマガジン)を通して「澤」2011年10月号を紹介しています。「し」助動詞の完了の用法(大野秋田)です。これによるとこの用法は古来から議論され本居宣長も議論に加わっているとのこと。花壇、俳壇の創始者たちの作品も批判の対象になっているそうです。

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人生初、今年長良川の鵜飼に行ってきました。
鵜篝という季語が使いたくて、この句が生まれました。
季語は沢山あって、素敵な季語に出会うだけで楽しいです。
ちぢれおり を褒めて頂き嬉しかったです^_^
いつもありがとうございます☆

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井村先生のおっしゃるのは、俳句初心者の句によくみられる、時系列を無視した誤用のことだと思われます。俳句は文語を使わなくてはならないと、まずそのことが頭にあってのだと思います。明らかに 現在のことなのに、「し」を使わなくてはいけないと思いこんでしまったのです。そう思います。

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アイビーさん、コメント有り難うございました。
 私、井村氏のご指導を受けるようなってから、一時「し」の恐怖症に陥りました。過去の俳句を見ても文語体にこだわるだけで文法的には全く無頓着でしたから。以後「し」の句は見当たりません。きっと避けていたんですよね。
今回の事でこれではだめだと思いました。冊子によると過去形でも三段階あるとのことですが信長の句のようにいわゆる「大過去」は別として現在と過去は微妙ですよね。厳密に言えば句は全て過去の現象です。今を言い留めても瞬間過去になっています。このような現象を過去云々と区別する意味があるんでしょうか。忌日や祭日は別としても五十路を50代と思っていたんですがその当日だけと知ったことに唖然としたことを思い出しました。私も今回の句に限って言えば文法上の事は兎も角添削句の方が作者の思いの幅が広がり読者にも思いが伝わるのではないかと思っています。折があったら井村先生にも伺ってみたいと思っています。

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ナチ―サンさんのご指摘、有難うございます。井村先生の言われるのはごもっともで、ともするとその辺の扱いがいい加減になったり、曖昧になりがちになるのを戒められておられるのだと愚考します。ただ日本語の特性として、たとえば英語と比較する時、現在形と過去形、単数と複数の扱いが弾力的と言うか、あまり厳密でないことがあります。
ナチ―サンさんは、現在進行形と言われましたが、私はもっとファジーに考えています。母親は満ち足りた思いを継続していることは間違いありません。子どもの方は昼寝をしているのですから、楽しい思いが中断したと見做すことも可能です。無邪気な寝顔に満ち足りた思いを感じたのは、作者自身つまり大人の思い入れなのです。そんなわけで、作者のえっちゃんあらさんに提案したのです。「し」と直すことによって、だれが満ち足りた思いをしているのかが明確になったと思います。

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年08月16日 19:46)

確認   満ち足りて吾子の寝返り昼寝かな (えっちゃんあら)
     「満ち足りて→満ち足りし」へのアイビーさんのアドバイスについて
   私の所属する大福会では井村先生のご指導による初心者向けの「俳句に活かす言葉の表現」なる冊子があり私  
   の座右の書となっています。それによりますと旧かな「し」の使い方として次のように述べています。
   「し」は「時間的にはっきり過去に属する事実を述べる言葉である」として、100%現在のことには、「旧仮名
   (過去)の「し」は適当ではない。として「使いゐし包丁」「人を食ひし顔」も、「使いゐる(ゐたる)包丁」「人を
   食ひたる顔」に。また「緑陰の椅子に置かれし大荷物」(置かるる、置かれて)、「入学の子の顔とみに大人び
   し」(大人ぶる)、「玉の如き小春日和を授かりし(授かれる)」を例に挙げています。
   そして正しい「し」の用例として次の句を挙げています。
   「鶏小屋の有りしあたりや紫蘇匂う」(嘗てそこに有ったこと)、「掃き清められし境内若楓」(ちょっと前までに
   掃き清められた)、信長が奇襲せし丘虎落笛」(明らかに過去のこと)
   この他終止形と連体形の誤用(水垂る→水垂るる、支ふ→支ふる)や上二段、下二段(漏れる→漏るる、繰り上
   げる→繰り上ぐる入れる→入るる)の誤用など指摘されています。
   ★この句の場合明らかに現在進行形ですよね。ただ私も正直よくわかりません。文法はむづかしいですね。

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アイビーさん鑑賞ありがとうございます。満ち足りしですね。欲張って赤子と我との幸せを思いました。しとするだけで赤子だけになる不思議です。教えて頂きありがとうございます。

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