アイビーの俳句鑑賞 その2
アイビーの俳句鑑賞 その2
大恵那の風に誘われ稲の花 (森野)
大恵那と大景を最初に持ってきたところに、稲の花という近景を描写した。このあたりの呼吸は流石にベテランならでは。形式的には一物仕立ての句だが、実質的には取り合わせの句と見做すことも可能だ。
長崎忌死者も生者も耳ふたつ (ABCヒロ)
9日は長崎に原爆が落とされた日。「死者も生者も耳ふたつ」と当たり前のことを言っている。人の生死を分けたものは何か。少し遅く生まれれば、あるいは別の場所に生れたなら、ほんのわずかな時空のずれが生死を分ける。
一手一手に苦悩が滲む盤暑し (ラガーシャツ)
将棋の藤井八冠をはじめ勝負の世界に身を置く人たちの厳しさは、常人には計り知れない。まさに一手一手に命を削る思いだ。「盤熱し」ならぬ「盤暑し」としたところに作者の工夫が見られるが、別の季語を立てるのも選択肢ではないか。
夏暁や散歩で出会うヌートリア (尾花)
尾花さんは5点を集めた「涼し」の句があるが、敢えてこの句を取り上げてみたい。ヌートリアなる動物、実は愛知県や主に西日本で随分繁殖しているようだ。農業に与える損害も決して馬鹿にならないと聞く。作者が散歩中に見かけたほどだから、かなり繁殖しているとみられる。やがて日常的に見られるようになるだろう。
日常の二日(ふたひ)祈るや原爆忌 (ダイアナ)
8月6日が広島、9日が長﨑と原爆忌は2回ある。その日に特別なことをせずに、日常の生活をしながら祈った。ルビを振ったように「ふたひ」と読まないと意味が通じない。ダイアナさんの言葉に対する拘りは、細部に至るまで吟味されており、好感が持てる。
朝採りの茄子天婦羅をぺろりかな (ふうりん)
食べ物の句は旨そうに詠むのが鉄則。茄子は煮ても 焼いても旨いが、天婦羅もよい。しかも朝採りだ。それだけで旨そうなのに、座五の「ぺろりかな」で降参だ。俗な言葉を積極的に使ったのが効果的だ。
早起きし施餓鬼の番を取りにゆく (無点)
惜しくも無点となった。寺によってシステムが違うのだろうか、施餓鬼の順番を取るために寺に行ったという。早起きをしてまで順番を取るというのが少し分かりにくい。その辺の説得力のある状況説明があれば点が入ったかな、という気がする。
以下次号、不定期掲載
アイビーさん、私の拙句を鑑賞句の中に入れて頂きありがとうございます❗️😃褒めて頂き、また頑張ろう❗️と思います😆ありがとうございました🙏🙇🙇