アイビーの俳句鑑賞 その4
アイビーの俳句鑑賞 その4
スウェードの靴先濡らす今朝の秋 (かをり)
スウェードは厚手の織物で、別珍のように起毛加工されることが多い。スウェードの靴というのだから随分とおしゃれな靴だ。おそらく露の小径を散策し、靴先が濡れたのであろう。相変わらず酷暑の毎日だが、それでも日常の一寸した折節に秋を実感したのである。作者の感性が光る。
客船の泊まる横浜雲の峰 (ちとせ)
横浜港に大型クルーズが停泊していた。スマートな雄姿を晒して岸壁に横付けになっている。こちらも旅行中だが、また別の旅情を掻き立ててくれる。誰もが憧れる船の旅。季語の「雲の峰」が遠い国を連想させ効果的だ。
愛猫の死を悼む老い沙羅の花 (茶々)
無類の猫好きの茶々さんの、いかにも猫好きらしい一句。可愛がってた猫の死は、茶々さんにとっては何事にも代えがたい痛恨事。そう言えば、季語の「沙羅の花」は一日花、儚いイメージと愛猫の死とよく適っている。
軋む戸をそろりと開けて秋の風 (合山)
軋む戸を開けるのは力まかせに開けるばかりでなく、ちょっとしたコツが要る。なんとかかんとかして戸を開けたら、思いがけなく風が涼しい。酷暑の夏と思っていたが、風はすでに秋。季節の微かな移ろいを感じ取るのも俳人の感性だ。
白南風や三浦一望房総も (無点)
上五に「白南風や」とポンと投げ出しておいて、実景を描写したあたりは俳句の呼吸だ。ところが入点が無かったのはどういう訳か。不遇な句というものはある。さしずめこの句がそうだ。
念じつつ舟を漕ぐなり生身魂 (無点)
生身魂は盂蘭盆の傍題で、存命してるが皆から崇められている老人のこと。この句は、随分行儀の良い老人(多分、おばあさん)を詠んだ。正座して僧のお経に合わせ唱和してたものが、そのうち寝込んでしまった。寝こんでも正座を崩さないところがおばあさんらしい。ユーモラスな一瞬を捉えた作者の観察眼が冴えたが無点となった。
アイビーの俳句鑑賞:完
「愛猫の死を悼む老い沙羅の花」
森野さん有難うございました。
アイビーさん選評ありがとうございました。
選評を読みましたとたん涙が溢れました。
季語は百日紅に原案を考えましたが先達さんから「沙羅の花」も季語になるとの示唆をいただいたので、すぐそれに決めました。
というのはかって岐阜の金華山、犬山城界隈を散策したとき、お寺か公園か
忘れましたが「沙羅の花」を見ました。
アイビー主幹さんのお言葉が沙羅の花の印影とともに身に染みてきます。
有難うございました。重ねてお礼申し上げます。
アイビーさん、鑑賞ありがとうございます。
元句はかなり昔の私の短歌 スウェードの靴先濡らす猫の恋 うりざね顔の女と飲みます
丁度、阿久悠、上村一夫なんて凝っていた頃の歌です。
上村一夫の絵って、ええなあ。関東平野は最高やけど、ちと変態やなーww 昭和って懐深い。
合山さんの新説、今晩試してみます。
合山さん、お風呂の腰掛やってみましたよ!
濡れてるのをタオルで拭いて台所に持ち出し・・・座った時、立ち上がる時の、前のめりになる不安定感がなくて「いいかも・・・!」と思いましたが、ただ私の場合(つきすぎたおにくがはみだす)のがねー。
念じつつ舟を漕ぐなり生身魂 私の句です。アイビーさんのおっしゃる通り。唱和している声が間遠になりやがて途切れる。
行きつ戻りつ。少し訳が分からなくなりかけて、世話している義母が、今話していた人は誰と聞くと知らぬとは言えないので、分らんでどないすると答える。誰か言うてみて、と言われると、それはほれ、ほ、ほいのほいや、とごまかすので大笑い。
ネットで碁を打っていると相手の応手が遅れるとちょっと目をつむってみる。気が付くと負けになっている。寝てしまっていたのだ。死ぬ時もハッと気づいたらあの世だったりして。
余計な事、皆さん風呂の腰掛、長方形のものを使っている人、多分横長で使っておられるでしょう?私も長年あれはそうするもんだとずっとそうしていました。このあいだから縦長で使ってみるとこの方が座りがよろしい。目から鱗、口から入れ歯落ちます。横長人一回やってみて、前から縦長の人があれば尊敬します。まあ一人ひとり体型も違うので一概に言えないでしょうけど。言いたいのはいつの間にか刷り込まれていることが多いという事。ぜひ結果ここで知らせて。