アイビーの俳句鑑賞 その1
アイビーの俳句鑑賞 その1
庭球のロブ高々と神送り (かをり)
作者本人の弁にもあったように、酩酊状態で作った一句。案外、俳句という文芸の本質がそんなものかも知れない。俳句は即興、挨拶の文芸だから。この句は、庭球のロブと神送りが響きあっているかどうかが要諦。私は、そこはかとなく漂ってくるものに感応したから取った次第である。
川べりの大鍋運ぶ芋煮会 (えっちゃんあら)
芋煮会、それも大人数で行った芋煮会を想像する。大鍋を用意したり、川べりに会場設営したりして、その雰囲気が雰囲気が伝わってくる。詳しい状況を説明せずに、芋煮会の規模を読み手に分からせたのは鮮やか。助詞の使い方で「川べりの」は「川べりに」の方がよくはないだろうか。
変装した小さな客のハロウイーン (ヨヨ)
ハロウィーンで大騒ぎする風潮は少し下火になったようだ。これはまた小さい子どもが変装して、知り合いの家を訪問したという微笑ましい光景を詠んだと言うか、本来の姿に戻ったと言うべきか。うまくまとめたが、上五の字余りは解消できる。「変装の小さきゲストハロウイーン」 とか。客をゲストにしたことにより、中七と座五の間に小さなきれが生じた。
温め酒一献受くる割烹着 (人参)
中年から老年にかかる夫婦の生活を詠んだと私は解釈した。かいがいしく立ち働く妻に、素直に感謝すればよいものを、私もそうだが照れくさくて言えない。「お前もどうだ」と言うのが、精いっぱいの愛情表現なのだ。そんなことは先刻承知の作者。割烹着を着たまま盃を受けた。ほのぼのとしたいい情景を詠んだと思う。
廃線に木の実こぼして鳥語降る (森野)
自然豊かな環境に住む作者。木の実が降り、鳥が囀るという絶好のロケーションを、そのまま使うのでなく、木の実がこぼれ、鳥語が降ると雅語を使ったことにより、俳句に格調が生じた。
あの人はまた来てくれる刈田かな (ラガーシャツ)
見当違いかもしれないが、恋しい人との逢瀬を待ち焦がれる風情にも見える。それにしては坐五の「刈田」がイマイチ腑に落ちないが。そうした瑕疵はあるが、自分の気持ちを素直に吐露したところに好感が持てる。俳句は作品として発表された時点で作者の手から離れる。それが証拠に5点も入っている。自信を持ってよい。
冬ぬくし寝癖のままの朝ご飯 (コビトカバ)
今年はいつまでも暑い日が続き、文字通り「冬ぬくし」である。朝のあわただしい時間、朝食を摂るのだが、髪の毛は盛大に寝癖がついている。新婚当初ならともかく、気心の知れた家族の前で、遠慮することもない。また、それをとがめる家族はない。そんな朝の雰囲気を活写して過不足がない。季語の「冬ぬくし」がいい味を出している。
以下次号、不定期掲載
アイビーさん、過分な感想身に沁みます。
私、社会人になってからテニススクールに通っていたのです。
清く正しくサーブからボレー、ロブショットの打ち方、模擬ゲームまで教えてくれるんです。
ボールに託し初冬の杜を俯瞰、気分はドローンになった感じです。
ドローン教室も行きたいですね。
アイビーさん鑑賞ありがとうございます。
アイビーさんの言われるようなロマンチックなものではなく
来年の秋にはまた稲穂に逢えるなんて事を詠んでみました。
でも僕の手をもう離れてますので皆さんに任せるとしましょう!