アイビーの俳句鑑賞 その3
アイビーの俳句鑑賞 その3
芭蕉忌や見えぬ物見る心の目 (ダイアナ)
芭蕉忌は別名時雨忌とも言い、旧暦の10月12日。俳聖・芭蕉は言うまでもなく、俳句を単なる教養から芸術に高めた、俳句の創始者と創始者と言って過言ではない。中七から座五の楚辞は、そのまま翁へのリスペクトの気持ちを表したものだが、自分自身対する戒めでもある。何事によらず一つのことに打ち込み、道を究めためには、この謙虚さが必要と再認識させられた。
胡弓の音神仏酔はす風の盆 (ナチーサン)
風の盆をテーマにした俳句は数多いが、もの寂しい胡弓の音に神仏を登場させたところがユニークだ。作者の感性だろう。しみじみと胡弓の音に耳を傾けるとき、ある種の霊的ななにごとかを感応した作者。冒しがたい神韻を感じたのかも知れない。作者の感性が光る。
浜菊や老ゆるは潮の引くごとし (てつを)
浜菊はキク科の植物でマーガレットに似た花が咲く。もっともマーガレットがモダンで西洋風なのに対し、浜菊は日本的な趣がある。中七以降は老境の作者のしみじみとした述懐が述べられる。二物取り合わせの句。二物取り合わせはよく言われるように、「即かず離れず」の呼吸が会得できるかどうかにかかる。浜菊を季語に持ってきた、作者の意図をじっくり味わいたい。
吾が名のみ分かる老母も冬に入る (ふうりん)
誰しも一度は通る道とはいえ、肉親が年を取ってゆく過程は、家族にとって痛ましくもあり、曰く言い難いものがある。認知症が進行した母親の日常は介護なくては過ごせない。それでも息子の名前だけは反応するという。まことに切ない。季語の「冬に入る」は、本人と家族にとって、この先も長い時間の存在することを暗示している。
田舎風芋煮で夫を篭絡す (ヨシ)
中年男の弱点は、子供の頃に食べた母の味にある。従って田舎風などというワードが出てくるとたちまちメロメロになる。そこらへんの機微を逆手に取った亭主操縦法を「篭絡」としゃれのめした。この句でも明らかなように男の嗜好は保守的である。賢明な淑女はその辺のコツを体得すれば、男を支配できる。そんなことは先刻ご承知か。
薄墨のはがき一葉冬の虹 (にゃんこ)
冬になると届く欠礼挨拶の葉書。不幸があったための欠礼だから薄く印刷される。どの家にも2枚や3枚届く。これが届く時期になると冬の到来を感じる。あの人も逝ってしまったのかたとしばし故人の思い、感傷に耽る。思い出がまた別の思い出を呼び起こす。そんな心の動きを「冬の虹」に擬えた。この季語の斡旋は十分に説得力を持つ。
以下次号、不定期掲載
アイビーさん
拙句を鑑賞していただき、ありがとうございます。
「冬の虹」は、見つけた!と思った季語でした。
まだまだ勉強中ゆえ、「季語」にはいつも悩みます。
説得力を持つと言っていただき、ほっとしました。
胡弓の音神仏酔はす風の盆 (ナチーサン)
過分なるお言葉に接し恐縮しています。風の盆はテレビでしか知りませんがあの雰囲気は何とも言えない独特なものがあります。
特に胡弓の神秘的な音色には魂の揺さぶられる思いがします。解説で風の盆の由来や歌詞の内容を知るにつけ踊り子の所作の一つ一つに意味があることを知りました。男女での盃ごと、夫婦で仰ぐ月代、などなどこの地域の悲しいまでの歴史が刻まれています。
恍惚として踊り継ぐ男女が神仏と一体になる様はまさに風の盆と呼ばれるに相応しい光景に想えました。
なお、三味線等の演者は複数なのに胡弓の奏者は特定された方のみというのも興味を注がれました。