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スレッドNo.4921

アイビーの俳句鑑賞 その1

アイビーの俳句鑑賞 その1

髭爺の笑え笑えと尾張萬歳 (えっちゃんあら)
尾張萬歳にしても三河萬歳にしても正月の風物詩だった。本来、門付芸だったのが、最近は古典芸能並みに鑑賞する時代になった。剽軽な振りつけや滑稽な仕草で目出度さを寿ぐ。この作者は言葉の使い方が自由で意表をつく表現が特長だが、それが遺憾なく発揮された。中七の「笑え笑え」がその最たるものと言える。ツボにはまった時は、読み手の印象に残る。

大水菜一筆添へて置かれをり (森野)
最高の9点を集めた句。「一筆添へて」とあるので送り主は分っているが、もし分からなくても想像できる親しい人物なのだろう。気の置けない間柄でも、「一筆添へて」たことにより、相手の人柄まで分かるようだ。読み手の側にあれこれ想像を促す手並みは流石。

夢の字の大きく滲む筆始 (若菜)
筆始というからは毛筆、それも小学生ぐらいか。課題は正月に相応しく「夢」。毛筆は「滲み」も「掠れ」も、それ自体が味だ。まして子どものこととて、そんなことはお構いなく、きっと半紙をはみ出るほどに大きく書く子もいただろう。いつに変わらぬ正月風景だ。

みんなして孤独持ち寄る囲炉裏かな (ABCヒロ)
囲炉裏と言えば、家父長たるご隠居がいて主人がいて嫁がいて孫がいて、と、古きよき時代の農村を思い浮かべる。そんな先入観を根底から覆したのがこの句。なにせその場いる全員が孤独を持ち寄ったと言うのだから。現代社会の深層を鋭く抉った句。一見平和に見える家庭も、かかる危うさを内包しているのだ。考えてみればなんと恐ろしい句であることよ。

東雲のひかり横切り初鴉 (尾花)
正月の俳句は鴉でさえもお目出度い。また、お目出度く詠まねばならない。この句も「東の雲に初日が出て、そこへ鴉が飛んできた」と言うだけの寓意もなにもない、ただそれだけの句意である。それを、東雲(しののめ)とか、ひかりとか、改まった語彙を駆使することにより、いかにも正月らしい雰囲気が醸されるから不思議だ。また作者も計算通りの効果に、「してやった」と快哉を叫んだことであろうか。

京言葉やさしやわらか九条葱 (弥生)
葱は冬の季語とされる。中でも九条葱は京都しか栽培されない品種。葱のブランドだ。京言葉の優しさ、柔らかさが、とりもなおさず九条葱の真骨頂でもある。京野菜という言葉があるように、野菜ですら京都の野菜は京都ぶりである。そう言えば京都ぶりを表す言葉に「はんなり」というのがある。この辺り、葱でも関東、例えば大仁田葱とは趣を異にする。

悩む事同じで笑ふ冬うらら (コビトカバ)
深刻な心配事というほどでもないが、気になっていることがある。友人に何かのひょうしにそれを打ち明けたところ、なんと友人も同じ悩みを抱えており大笑いになった。同時に、今までくよくよ悩んでしていたことがバカバカしく思えた。誰にでもある体験をうまくまとめた。伝統的な花鳥諷詠も俳句なら、この句のように日常の些細な出来事を詠む、いわゆる人事句も立派な俳句と私は思う。さしずめこの句などは人事句の手本のような句。

以下次号、不定期掲載

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アイビーさんへ
鑑賞ありがとうございます!
専ら息子の事なんですが、ママ友に話すと悩む事見事に同じって時あるんです。
そうなるといつも安堵と笑いが起きるのです(≧∀≦)

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初雀にしろ初鴉にしろ、[初]の字が付くだけで何かあらたまった感じがします。12月の鴉と正月の鴉は同じ鴉なのに不思議ですねえ。「淑気」と言う季語もあります。同じ景色なのに、正月だけは「淑気」になるのですねえ。

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アイビーさん、初鴉の句の鑑賞をありがとうございました。

鴉も雀も一年中私たちの身近にいる鳥ですが、一月だけは季語になるので、文字のうえでも「初」を頭につけるだけでお目出たい鳥に思えてくるから不思議です。
お正月から初鴉、初雀の句を探しておりました。

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