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スレッドNo.4935

アイビーの俳句鑑賞 その3

アイビーの俳句鑑賞 その3

初競りやぶり豊漁の能登手締め (ダイアナ)
能登といえば去年の正月早々の地震である。お屠蘇気分を吹き飛ばした。あれから一年、今なお復旧がままならぬ被災地に心が痛む。その能登の人々も、季節は否応なく前に進む。鰤起こしの風が吹くころ,鰤漁もシーズンインだ。豊漁と伝えられる初競りはご祝儀相場もあり、競りが成立した時の手締めも誇らしげだ。久しぶりに能登に活気が戻る一瞬だ。鰤漁と能登を結び付けたところが上手い。ただ、「ぶり」は漢字表記にして欲しかった。それと、座五の「手締め」がやや唐突な印象を与えるので、語順を変えるとか、推敲次第でもっと良くなると感じた。

平凡のありがたきかな雑煮食む (ポジ)
ポジさんは初投稿と思われる。今後とも当句会を盛り上げていただきたいと切に願う。正月の風景を詠んだが、上五、中七の楚辞が断然よいと感じた。脱ボンなどといわれる風潮はよいが、脱ボンに拘るあまりやたらと難解な俳句が横行している。その点、この句は何といっても分かりやすい。分かりやすいということは、句の解釈に疑義を生じないということだ。句作にマンネリを感じたら、初心に立ち戻る。その恰好のお手本がこの句だと思う。

食材を食ひ尽くしたる四日かな (ヨシ)
おせち料理も正月も4日目となれば,飽きが来る。冷蔵庫の中のものは全部食べ尽くしてしまった。元のペースに戻らねばと思うのだが、正月のダラダラムードに慣れた身体の方が言うことを聞かない。仕事は週明けの6日からだし、食べるものが無ければ外食という手もある。いっそ、インスタントラーメンで済ますか。そんな会話が聞こえてきそうな、正月4日の倦怠感がよく出ている。

我が余性幾許なりや除夜の鐘 (和談)
除夜の鐘を聞く時、若い人はいざ知らず、大多数は敬虔な気持ちになるのではないか。一定の年齢に達した人は、来しかた行く末を思いを馳せる。今のところは身体も動く、特に重篤な病気もないが、この先この状況が何年続くのであろうか。そこに思いが行くのはごく自然なことだ。そんな中高年者の心情を除夜の鐘に託して詠んだ佳句。ただ、全体のかたい調子も、和談さんの生真面目なお人柄の反映と言えよう。

除夜の鐘歌合戦の熱冷まし (茶々)
紅白歌合戦は、一時の国民的行事としての意味合いは薄れてきたが、NHKの看板番組であり続けている。紅白も最近はずいぶん変わった。お金と最新技術を使いショーアップされた。見る側にとっても熱が入るというものだ。紅白が終わると、各地の年越し風景を伝える「行く年来る年」が始まる。うって変る静寂の中、除夜の鐘が響く、さっきまでの喧騒はなんだったのかと思う。そんな年越しの感慨を句にした。

瞳孔を照らし冷たく時告ぐる (大門)
私が特選に選んだ句。中七の「冷たく」が季語となる。臨終に立ち会う医師は、所定の確認をして臨終を告げる。一切のことは職務として淡々と進められる。その傍らでは家族が悲嘆にくれている。肉親を喪くした家族の愁嘆場と職業的冷静を失わないでことを進める医師。その対照を作者は観察者の目で描写した。観察者の目とは俳人の目に他ならない。

星ひとつ落つ戦場はクリスマス (にゃんこ)
広い世界には戦火のうちに越年した地域がある。いわく、ガザ地区、ウクライナの戦争がそうだ。宇宙からこの地球を俯瞰すれば、紛争に明け暮れる人類は度しがたい愚か者の集団である。おりしも地上はクリスマスだ。しかし、戦火は止むことがない。星がひとつ落ちた事実は何事かを暗示しているようだ。流れ星は本来、秋の季語とされるが、「星ひとつ落つ」の表現には必然性があり、季重なりには当たらない。

以下次号、不定期掲載

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アイビーさん、
能登の鰤の句を鑑賞して頂きありがとうございます‼️😆
そうですよねえ、ぶり、は漢字ですよね😅手締の語順、考えてみます😃

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アイビーさん
鑑賞ありがとうございます。
季重なりにはならないとのこと、気になっていたところなので、そう言っていただけると心強いです。
(無点句で季重なりをやってしまいましたが…。慌てて投句するとミスが起きますね。反省です)

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