MENU
448,353

スレッドNo.5086

アイビーの俳句鑑賞 その2

アイビーの俳句鑑賞 その2

梅凛と二輪咲おり朝日受け (和談)
たった二輪でも梅が開花した。朝日がさして神々しいまで美しい。遅い早いはあるが自然の摂理に背かず必ず開花する。自然界の営為の前には、人は敬虔な気持ちになる。そんな感懐を俳句にして間然とするところがない。ただ、全体に表現が控えめというか、インパクトが弱いように思う。語順を変えるとか、切れを工夫するとか、推敲の余地はありそうだ。
アイビー流に 「朝の日を浴びて凛たり梅二輪」

玉手箱民話の杜や梅含む (玉虫)
「梅含む」は「梅ふふむ」と読み、蕾が膨らんできて開花寸前の状態を言う。浦島伝説は各地に存在するが、愛知県で言えば武豊町にもある。念の入ったことに、太郎が竜宮城から土産にもらった玉手箱まであるそうだ。きっと伝承を尋ねて神社巡りの途中、梅の蕾が綻んでいたのを即興で詠んだのだろうか。浦島伝説と梅の組み合わせは一見、何の関係もないように見えて、よく考えれば雰囲気があって悪くない取り合わせだ。

明日見えぬ時代を生きて紀元節 (ABCヒロ)
出口の見えない迷路にいる私たち。現代は個人も社会も名状しがたい閉塞感に覆われている。過去の歴史を振り返る時、同じような体験を私たちはしたような気がする。折しも昭和百年に当たる今年。ことさら「建国記念日」ではなく、「紀元節」を持ってきた作者の意図もその辺にありそうだ。

剪定のゆずらぬ考の形になり (えっちゃんあら)
季語は「剪定」。考と言うからには作者のお父さんは既に亡くなっている。そのお父さんは庭いじりが趣味だったのだろうか。独自の美意識があったに違いない。今もって剪定をすれば、自然に亡き父好みの形になってしまうのだろう。この句は亡き父を懐かしむ気持ち、同時に限りなく父を敬慕していた作者の心情が読み取れる。
  
紅さしてまだ百ニ歳春そこに (ポジ)
今月の巻頭句。一読して、よく推敲が行き届いた句と感じた。まず句材が良い。長寿社会を象徴するかのように百ニ歳の老人を登場させた。「百ニ歳」と具体的なのも良い。「春隣」「春近し」としても句意を損ねないにもかかわらず、「春そこに」とソフトに受けた呼吸の良さ。大いに参考にさせてもらいたい。「春」という言葉が出てくるが季節としては冬の句。

冴返る言の葉ときに凶器にも (てつを)
二物取り合わせの句。季語の「冴返る」と中七以下の楚辞とよく響きあっていると感じた。二物取り合わせは二つの異なるテーマを取り合わせるのだが、不即不離が大原則。ありきたたりの取り合わせだと答えがすぐ分かってしまうし、離れすぎても響きあうものがない。その点、この句の離れ具合は理想的だ。

以下次号、不定期掲載

引用して返信編集・削除(未編集)

アイビーさん、鑑賞ありがとう😆💕✨ございます。亡くなった義父が愛した庭の松等を脚立に足かけて剪定していました。他の人が剪定しても同じ様な形にしています。剪定の人に感謝と有り難みを強く思ってので俳句で詠みました。暫く義父の思い出を庭を見ながら幸せな時間でした。

引用して返信編集・削除(未編集)

このスレッドに返信

ロケットBBS

Page Top