自句自解
9 万愚節生物万歳ウンチ展
3月18日(火)からに5.18までの日程で東京ドームで〚うんち展〛が開幕されています。
023年には茨城県自然博物館で開催され、約13万人を集め好評だったそうです。ほ乳類、鳥類、は虫類、両生類などの実物うんちを、「落とし主」である動物のはく製標本などと一緒に展示したものでお子さんはもちろん、大人も夢中になれる内容のようです。各動物のはく製のそばには、凍結乾燥された本物のうんちが展示され匂いや音の体感できるコーナーもあり五感を通してヒトも地球上の生きものの一つを体感できるうんち展、料金、一般1700円(4歳~高校生800円には代えられないとか。ぜひ名古屋で開催してほしいものです。過去に子どもたちの間でうんちブームがあったことを思い出しながら少し冒険してみました。ご意見いただければ幸いです。にゃんこさんの選をいただきました。有り難うございました。
「うんち展」の句に対して多くの方の感想を頂きました。俳句には「かるみ」「諧謔」の要素もあるという事で「万愚節」
(初案は「四月馬鹿」)に自信を持つことが出来ました。冒険句として投稿しましたがそんなことはなく俳味を持った句として受け止めていただいているようで今後もいろんな分野に挑戦してみたく思いました。有り難うございました。
人類も生き物ですから、食べることも重要ですが出すこともまた重要です。この厳粛な事実に、あえて目を背けてきたのが文明人の怠慢と言っても過言ではありません。二物取り合わせの句ですが、万愚節と不思議に響き合っています。これが「料峭」ではいけません。良いも悪いも議論の余地はありません。私は万愚節を強く支持します。
私は、この句の「万愚節」から感じられるユーモアを含んだ明るさが好きです。
ただ、俳句初心者ゆえ、俳句として「万愚節」と例えば「料峭」のどちらがこの句にふさわしいかについては、何とも言えません。すみません。
ベテランの方のコメントがあるといいのですが…。
にゃんこさんへ
早速コメントいただき有り難うございました。ご指摘の「ウンチ展」は「うんち展」ですね。「ウンチ展」は開かれていません。
先達の何方かが、「俳句は詩的要素が不可欠だが美醜に囚われず真実を述べること」として、敢て汚いもの触れたくないものへの挑戦を述べられていました。この句の場合多少ためらいがあり季語に「万愚節」を持ってきましたが果たしてこのような気遣いが必要だったか考えさせられています。例えば「料峭」。「料峭や生物万歳うんち展」とか。だんだん分からなくなってきました。
有り難うございました。
ナチ―サンさん
なかなか落ち着いてこちらの掲示板をみることができず、感想を書けず、失礼いたしました。申し訳ありません。
とかく食べる方、成長する方ばかりに注目しがちですが、生きるということは、食べて出すこと。出されたもの「ウンチ」は、微生物を含めた小さな生き物たちの食べ物となり、分解されて植物の栄養となり、植物が成長して実をつけ、それを私たちや動物が食べ、そして食べて出し…と循環していきます。とても重要なウンチですが、言葉として出すには何だちょっと下品な気もします。そこで、1年に1度罪のない嘘を言ってもいいという「万愚節」の力を借りて、「生物万歳」。あっけらかんと詠まれた真実が、心に響きました。三段切れが効果的だと思いました。(思うように感想を書けなくて申し訳ありません)
ただ、「うんち展」をなぜカタカナの「ウンチ展」にしたのか、とは思いました。
「うんち展」とても面白そうな企画ですね。ぜひ、名古屋に来てほしいものです。