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スレッドNo.5558

アイビーの俳句鑑賞 その4

アイビーの俳句鑑賞 その4

庭下駄の鼻緒の緩み芝青む (板波)
鼻緒が緩んだ庭下駄を見ている作者、ふと庭を見ると芝生が、洗われたように青々と鮮やかだ。この間、作者の視線は下駄の鼻緒から芝生へとスライドすればよく、きわめて自然だ。細かいところまで配慮が行き届いた佳句。

いい味を出しながら無点句となってしまった句が今月も沢山あった。少し手を入れれば、点が入ったのにと悔やまれる。ではどこをどうすれば良かったのか、一緒に考えてみたい。

万博へ値上り他所に皐月旅 
物価の上昇する中、関西では万博がオープンした。この句を読んだ人が、まず不審に思うのが「他所に」というワードだ。ひらがな表記すれば何の問題もない。「万博へ値上りよそに皐月旅」

試飲して衝動買いの新茶かな 
試飲して新茶を買うことは誰でも経験がある。そういう意味で無点となった理由が分からない。強いて言えば新茶を買ったぐらいで「衝動買い」は、少し大袈裟と言えば言える。さりとてそれが致命的な瑕疵とも思えないが…。

ゆたゆたと昇る乙女座春の宵 
オノマトペが眼目の句。理屈もなにもない、ただ「春の宵」と「ゆたゆた」とが響き合うかだけの問題だ。この度は空振りになってしまったが、意気込みは壮とすべきだ。句会では試せないことも、当ネット句会はOK。是非、新しい表現方法に挑戦して欲しい。

ゴンドラを降りて松蝉耳に先ず 
松蝉は一名をハルゼミと言う。文字通り晩春から初夏にかけて鳴く。筆者も十和田湖に旅した折に聞いたことがある。当該句は感動をそのまま詠んで好感が持てるが、正確さに拘り過ぎと感じた。「ゴンドラを降りるやいなや春の蝉」 

逝く春のにじむ彩りそのままに 
感動が先走り過ぎて、句意がよく伝わらなかったうらみがある。特に中七の「にじむ彩り」が具体的に何を指しているのか、分かりにくい気がする。もう少し推敲してみたい、というのが私の偽らざるところだ。

福願ひ猫と頬張る柏餅 
肉食動物の猫だって柏餅を食べるだろうが、「頬張る」までは言い過ぎと思う。俳句の基本は描写することに尽きる。詠む対象を穴の空くほど観察したい。

あをあをと騒ぐは風か木々の葉か 
季語が無い。強いて言えば若葉を連想させる「あをあを」ぐらいだが、これを季語と呼べるかどうか疑問だ。それと、これは作者の意図と思われるが、句の途中から視覚、聴覚が入り混じっている。このため読み手は混乱する気がしないでもない。

アイビーの俳句鑑賞;完

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あをあをと騒ぐは風か木々の葉か  青葉騒を分解しただけ馬鹿な句です
生垣の葉が揺れているのを見ていたら風で揺れているのか葉っぱが踊っているのか分からなくなった

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