MENU
449,928

スレッドNo.570

アイビーの感想 その2

アイビーの感想 その2

61 人柱とはかなしきぞ菊人形 (ABCヒロさん)
人身御供の人柱伝説をモチーフにした菊人形。人柱になるのは大体がうら若い処女と決まっている。菊人形は綺麗であるが、所詮は人形であまり現実的なリアリテイーを感じるものではない。それなのに作者は「人柱とはかなしきぞ」と大真面目に嘆いているところに、得も言われぬ可笑しみがある。この可笑しみは俳味と言い換えてもよいだろう。

62 同室のあゐつに会ひたし秋の夜 (観音寺さん)
深まりゆく秋の夜。一人物思いに耽るとき、故人となった誰彼のことがしきりに思われる。同室のあゐつもその中の一人だ。あゐつと呼ぶからには、心を許した肝胆相照らす間柄だったのだろう。「あゐつ」の表記は「あやつ」からの転化だから「あいつ」でよくはないか。

70 鶏頭の深紅を超ゆる真紅なし (てつをさん)
鶏頭の赤は、いわゆる真紅でなおかつ深みがある赤だ。思わず息を呑むほどの鶏頭の赤に接し、誰もが感ずる思いを正面から、外連味なく詠んだところに好感が持てる。深紅と真紅を使い分けたところも繊細な工夫が見て取れる。

71 我先に川面揺らして上る鮭 (森野さん)
私も北海道に旅行した折、鮭の遡上を目の当たりに見たことがあるが、その迫力たるや比類がない。この句もそんな情景を詠んだのだが、なんと言っても「川面揺らして」と捉えたところが素晴らしい。実際の光景がその通りで、少しも大袈裟な表現ではない。

75 晩酌は考の楽しみ衣被 (無点)
考は既に亡くなっている父で、存命の父と使い分ければ「亡き父」としなくても済む利点がある。同様に母の場合は妣を使う。衣被を肴に晩酌をするのが好きだった父、しみじみ父の想い出に耽る作者。かくして秋の夜は更けてゆく。

76 穴まどひ五十路をんなの朝帰り (かをりさん)
今月のトップの句。朝帰りはどんな状況で、どんなプロセスを経てこうなったのか、読者はあれこれ想像する。五十路はジャスト50歳のこと。この年齢設定が微妙なところだ。江戸時代の50歳なら今日の老婆の感覚だが、当節は年増の色香、十分に間違いのありうる年齢だ。そこへもってきて季語が「穴まどひ」と来ているから、読者の心は千々に乱れる。かくして読者はまんまと作者の術中に嵌まるのだ。(作者自身の解説は敢えて読まないことにする)

79 間引き菜の香る味噌汁朝餉かな (無点)
朝の一仕事を済ませていただく朝食は殊のほか美味い。畑から抜いてきた間引き菜の味噌汁なら格別だろう。惜しくも点が入らなかったが、味噌汁と朝餉を並べたせいで冗長な感じになったかも知れない。一例として 今朝抜きし間引菜香る朝餉かな

80 逆上がり初めて出来た吾子の秋 (金平糖さん)
小学校低学年の吾が子だろうか。なかなか出来なかった逆上がりが遂に成功した。息せき切って報告する子、よく頑張ったねえと称える作者。座五を「吾子の秋」としたところが巧いなあと感心する。

以下次号、不定期掲載

引用して返信編集・削除(未編集)

もう10年以上前で69か70でした

引用して返信編集・削除(未編集)

私も彼奴(きゃつ)がよいと思いましたがそこまで言うのは僭越と思い言いだせませんでした。十代の多感な時分の友達ですから心中去来するものは察するにあまりあります。亡くなられたのはおいくつの時だったのでしょう。

引用して返信編集・削除(未編集)

ばれてしまった。彼奴にしとけばよかった、どこかで、あゐつ此の頃えばってやがる という表現があったような気がしたのが運の尽き。中学校を出て九ケ月出身県もそれぞれ違う三人が寝食を共にしてまた別れた。共にそれぞれ違う大腸がん、皮膚がん、胃がんを患い大腸がんが死んでしまった。不意に痛切にもう一度会いたいと思うときがある。
同室のあゐつに会ひたし秋の夜 とってくださった萩さん、いちごさん、評してくださったアイビーさん、ありがとう。

引用して返信編集・削除(未編集)

このスレッドに返信

このスレッドへの返信は締め切られています。

ロケットBBS

Page Top