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スレッドNo.6455

アイビーの俳句鑑賞 その1

アイビーの俳句鑑賞 その1

泣き終へて体軽きし蜜柑食ふ (えっちゃんあら)
夫が元気だった頃の追憶に浸る作者。胸に迫るものがあったのだろう。ひとしきり泣いた後、蜜柑を食べた。このあたりの場面転換が鮮やかだ。女の人は何時までも泣いてばかりはいられない。場面転換はよいのだが、「体軽きし」は文法的にも誤っており、一考を要する。「思ひ出に泣き尽くしたり蜜柑食ぶ」

嫁ライン笑顔見ずとも爺甘藷 (ヨヨ)
円満な家庭の状況が窺えて心楽しくなる句だ。殊に連れ合いは嫁に甘いことが分かる。
ただ、一句の中に色んな要素を織り込み過ぎて、却って分り難くなってしまった。思い切って省略することも大事だ。省略は捨てること。

虫喰いのアート模様や柿落葉 (ABCヒロ)
なるほど、そういう見方があったか。虫喰いの柿落葉。虫の方はアートを作っているつもりはないが、図らずもアートになってしまった。意図しないのに傑作が生まれることは、俳句についても言える。俳句の妙味だろう。

何しても直らぬレジよ神の留守 (コビトカバ)
旧暦の10月は神様の年次総会が島根県であり、日本中の神様が留守ときている。不可解な出来事はすべて「神の留守」の所為になる。人間社会は神の所為にすると上手く回っていくようだ。上質のユーモアが感じられる一句だ。

秋の夜やバンドネオンの響き満ち (ちとせ)
バンドネオンはアルゼンチン・タンゴやコンチネンタル・タンゴの伴奏につく。物悲しい独特の音色は人々を異国情緒に誘い、陶然とさせる。作者はうっとりと聞きほれている有様を活写している。欲を言えば、どういう状況でタンゴを聞いているのか、読み手に分からせる工夫があればと思う。

掘りし甘藷(いも)飢えし日遠く八十年 (和談)
戦中戦後の物のない時代を経験した方々にとって、大いに共感を呼ぶ句。代用食の南瓜を見るのも嫌だという人を知っているが、それほど食い物の恨みは根深いのだ。特に育ち盛りの少年期に終戦を迎えた年代の人は、理屈抜きで共感を呼ぶに違いない。ただ、日本農業の名誉のために、藷も南瓜も品種改良が進んだ結果、昔のように「スジっぽい藷」などは皆無であることを付言しておく。

パーキング一ピタリと決まり冬に入る (弥生)
日常生活のちょっとした折に、季節の変わり目を感じることがある。「もう、そんな季節になったのか」と感慨に耽る暇のあらばこそ、すぐに日常に戻される、そんな経験は誰しも一度や二度はあることだろう。作者はそんな経験を、駐車場に愛車を入れるときに感じた。切り返しもなく一発で収まった時に「もう、冬だなあ」と「冬」を感じた。

夜長には平家の落つる物語り (ラガーシャツ)
平家の落つる物語は吉川英治の「新平家物語」であろうか。例の「祇園精舎の鐘の音」で知られる、日本人の美意識の根源とも言うべきものだ。「新平家物語」は長編小説だが「夜長」である。思わず時間の経つのも忘れ、物語の展開に夢中となっている作者。ここで、季語の「夜長」がよく利いてくるのだ。

以下次号、不定期掲載。

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今朝の中日俳壇の一席高田正子選のアイビー様おめでとうございます。カードなど使わぬ店の衣被。

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アイビーさん、「パーキング」の句の鑑賞ありがとうございます。
張り詰めた空気感からか冬は「ピタッ」とか「キチッ」とかの言葉を使いたくなります。

この句会を皆さんが楽しんでいる事がよくわかります。
これからもアイビーさんに甘え、お任せしてしまいますが、どうぞアイビーさんのペースで進めてください。

弥生

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