アイビーの俳句鑑賞 その2
アイビーの俳句鑑賞 その2
補助具付け杖つく人や冬日燦 (ちとせ)
補助具の実物を見たことないので、詳しい仕組みは分からないが、懸命に歩こうとする人に向ける作者の眼差しは暖かい。気がつけば、「もう少しだ、頑張れ」と応援している自分に驚く。座五に「冬日燦」を持ってきたところに、作者の気持ちが現れている。「冬温し」や「冬日差す」でも十分なのに、敢えて「冬日燦」とした意味は浅くない。
畝間では白き肌魅せおでん酒 (和談)
昼間は畑仕事に忙しく、夜は昼間の疲れを癒すための一杯が無上の楽しみという女性であろうか。もっと言えば作者の奥さんであろうか。わが女房ながら、改めて惚れ直す作者。私の妻は全くイケない口なので羨ましい。やはり女性も少しはお酒を嗜んだ方が楽しい気がする。中七に「魅せ」とあるが、私はあまり賛成しかねる。折角の夫婦愛が安っぽく見える。
片手ずつ手袋外し手を繋ぐ (玉虫)
手を繋ぐ時は手袋を脱がなければならない。そうしないとスキンシップが保てないから。これは作者自身が、子ども時代を振り返っての実感に基づくものだろう。いちいち手袋を外すことのまだるっこさを感じても、いま振り返ってみれば、印象に残るのは両親の手の温もりだろう。
埋火やあいまいに生くこれよりは (あんのん)
作者のあんのんさんの俳句は、推敲が行き届いていることだ。いつも見習いたいと念じてはいるのだが…。自分の越し方、行く末を思い合わせて感じたことを吐露した。季語の「埋火」は作者が考え抜いた末のことだろう。ただ、結論的には、埋火の灰を被った様と、一方で燃え滾るエネルギーを内に秘めている訳で、悪くない選択だと思う。同様に座五の「これよりは」の取ってつけたような言い回しも、作者にとっては理由があるに違いない。
ほどほどの二年連用日記買ふ (ナチーサン)
三日坊主の私は日記など買ったことはないが、作者のナチーサンさんは違う。長いものは5年連用日記というのもあるが、5年経つと自分の寿命がどうなっているか分からず、なかなかそこまで踏ん切れない。そういうこともあって「ほどほどの」「二年日記」にしたあたり、用意周到というか慎重さが窺えて可笑しい。巧まざるユーモアの句。
最後には玉子で〆るおでんかな (ふうりん)
おでんのネタに着目した句は、数少ないだけに新鮮だ。人間関係や職場の句は多いのに。一通り順番に注文し最後のネタは玉子で〆る。これは合理的理由などない、単なるジンクスめいたルーティンのようなものだろう。でも、決まって最後の一品は玉子なのである。これに類することは私たちの身辺を見合わせても、結構ありそうだ。
枯草を束ねて結ぶ通学路 (尾花)
私は実物を見ていないので即断はできないが、昔からある、枯草を束ねて結ぶ女の子の遊びのことかと思う。子どもは遊びの天才である。道具がなければ自分たちで工夫して何とかする。そうやって、知らず知らずのうちに社会性を身につけていくのだろう。ただ、座五の「通学路」と場所を特定しない方が良いと思う。苦柄が小さくなるような気がする。
以下次号、不定期掲載。