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スレッドNo.6560

アイビーの俳句鑑賞 その3

アイビーの俳句鑑賞 その3

蜜柑食べ掌談義始まりぬ (ヨシ)
蜜柑をよく食べる人は掌が黄色になると言う。科学的にも立証されているが、痛いとも痒いともなく人畜無害である。蜜柑を食べた後にその話題が出た。ああでもない、こうでもないと勝手に話が盛り上がってきた。他愛ないといえば他愛ない。かくて平和なマイホームは何事もなく夜が更けて行く。

小春日やまたひとり来て畦談義 (てつを)
畦が話題になった。どこにも博学の人はいるもので、畦の歴史から始まって、そもそも畦は何のためにあるかと蘊蓄を披露する。そこへ一人加わった。いずれ劣らぬ論客揃いである。かくて何時果てるともなき論争が始まった。作者はそれをにこにこ笑いながら聞き役に回る。冬とは思えないポカポカ陽気。小春日和である。世はなべて平和だ。

一日を炬燵を出ては戻る猫 (にゃんこ)
人はネコ派とイヌ派に分ければ、差し詰めにゃんこさんはネコ派の最右翼だろう。寒さに弱い猫は、一日中炬燵を出たり入ったり、炬燵中心の生活だ。「炬燵にいなけりゃ何処にいる」という具合だ。そんな猫の習性を観察し、そこに実感を込めて句にした。ただ、全体に散文臭があり、来月は「もっと韻文らしく」を注文したい。俳句にあって、川柳にないものは「季語」と「切れ」である。意識して使えば、おのずから韻文らしくなる。

暮れ際のポインセチアの並ぶ店 (みにょん)
ポインセチアは冬の季語とされる。真っ赤な観葉植物であり、クリスマスに合わせて出荷される。町の年末風景を描写しての作句で過不足ない。上五で入り方が「暮れ際の」はやや大人しすぎる。ために全体の印象を地味なものにしている。もっと大胆な冒険があっても良かったのではないか。

炬燵猫寄せる寒波に薄目開け (茶々)
「竈猫」は富安風生が最初に使い広まった。「炬燵猫」という季語があるのかどうか知らないが、ネコ好きなことでは、この句の作者・茶々さんも人後に落ちない。猫の生態を観察しての描写は流石と思わせる。特に座五の「薄目開け」の描写は良い。「薄目を開け」たればこそ、「寄せる寒波に」のフレーズがスムーズに出て来るのだ。次の展開がずっと楽になる。日頃の観察の賜物だ。

診察は旅の話しや冬うらら (ダイアナ)
今月の巻頭句。特にどこが痛いとか痒いとかでなく、毎月の定期的な受診だろうか。話し好きなドクターらしく、本題そっちのけで旅の話に夢中だ。やれ、どこそこの温泉は泉質が良いとか、旨い蕎麦を食わせる店があるとか、旅の話題は尽きない。「冬うらら」の季語が適切だ。

当主にて終ふ湯やどの冬構 (かをり)
温泉旅館の経営者と思しき主人公。忙しく立ち、やっと一息ついたところを想像する。しかし、客足は伸びず、旅館を閉めるかどうかまで追い詰められている。昔の様に団体客で潤う時代は終わり、どう足掻いても悲観的な考えしか出てこない。昔のことを言えば、近在でも格式を誇る旅館だったのに。格式に相応しい、「冬構」が今となっては虚しい。

以下次号、不定期掲載。

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アイビーさん
拙句鑑賞ありがとうございます。
「季語」と「切れ」、意識したいと思います。

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当主にて終ふ湯やどの冬構  私も丸をつけています。もうお仕舞にするのは覚悟しているけどそれでもなすべき冬構をおろそかには出来ぬ当主の心意気を買いました。

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アイビーさん、鑑賞に取り上げていただいて、ありがとうございます。
まさに団体客が来なくなり、後継者もいない湯に投宿した際の句です。
新潟の赤倉温泉にて、文化の日に詠みました。

当主にて終ふ湯やどの冬構 うかがう蜂の胴のたつぷり

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茶々さんの近況から
 2か月ほど行方の知れなかった愛猫茶々がやっと帰還、茶々さんの喜びようは並ではありません。10キロほど離れた畑の小屋に数匹の野良猫が棲みつき飼い主の餌を待っています。10数㎞を運転、「エサ台も馬鹿にならん」とぼやきながらも日参する92歳。猫にはすべて手術を施しています。家には別の飼い猫が待っています。が、茶々は小柄だが特別、正に「茶々命」。帰還を伝える電話の声も生き生きしていました。

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