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スレッドNo.103

論語でジャーナル

9,子曰く、小子(しょうし)、何ぞ夫(か)の詩を学ぶこと莫(な)きや。詩は以て興(おこ)すべく、以て観るべく、以て群(あつ)むべく、以て怨むべし。之を邇(ちか)くしては父に事え(つかえ)、之を遠くしては君に事(つか)え、多く鳥獣草木の名を識(し)る)。

 先生が言われた。「弟子たちよ、どうしてあの「詩経」を学ばないのだ。『詩経』によってものを譬(たと)えることができるし、風俗を観察することができるし、友となって励まし合うこともできるし、政治を批判することもできる。近いところでは父に仕え、遠いところでは主君に仕え、鳥や獣や草木の名前を覚えるのに役立つものだ」。

※浩→『論語』の中には『詩経』から引用した言葉が多く出てきますが、孔子は“礼楽”を政治秩序の根本に置いていました。この条では、若い弟子(小子)たちにもっと深く『詩経』を学ぶことを勧めていて、『詩経』の言葉に真剣に向き合うことでどういう実用的なメリットや学習面での効果があるのかを教えています。言わんとするところは、「興観群怨」の四つで、要するに「詩」は感情の表現であるゆえに、論理の叙述である他の文献とは異なる効用を、この「四語」で指摘しています。感情の表現であるゆえに持つ特殊な自由さとしての比喩、あるいは感情の興奮、それが「興」で、感情の表現であるゆえに持つ広汎な観察の可能が「観」です。これらは詩の第一義的な性質で、次に集団生活における効用が「群」で、やり場のない個人的な感情の発散を「怨」と言います。
 野田先生は典型的な理科系男子ですが、なんと、歌(クラシック)を歌われ、合唱を指揮され、短歌を詠み、詩を鑑賞されます。ただ「歌舞伎」はあまり引用されませんでした。昔の資料の中に、先生が解釈された詩がいくつか含まれていました。一つを紹介します。

     夜(宮沢賢治)
  これで二時間
  咽喉(のど)からの血はとまらない
  おもてはもう人もあるかず
  樹などはしずかに息してめぐむ春の夜
  こここそ春の道場で
  菩薩は億の身をも捨て
  諸仏はここに涅槃し住し給ふ故
  こんやもうここで誰にも見られず
  ひとり死んでもいいのだと
  いくたびもさう考へをきめ
  自分でも自分に教へながら
  またなまぬるく
  あたらしい血が湧くたび
  なほほのじろくわたくしはおびえる(昭和8年)

 宮沢賢治の詩を取り上げるなら、「こよひ異装のげん月のした/鶏の黒尾を頭巾にかざり/片刃の太刀をひらめかす/原体村の舞手たちよ」で始まる「原体剣舞連」だの、「けふのうちに/とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ」で始まる「永訣の朝」だのを取り上げるべきであろうが、そういう名作は、読めばどうしたって感動するのだから、わざわざ解説することもなかろう。それらに較べて、この詩は、仏教についてのいくらかの教養がないと、何のことだかわからないし、教養があると、のっぴきならなく感動的なので、いくらかの註釈が必要なのである。

 「これで二時間/咽喉からの血はとまらない」という2行と、「おもてはもう人もあるかず/樹などはしずかに息してめぐむ春の夜」という2行の対照は、有限の人間と無限の自然との対照であり、生まれて死んでゆく人間と永遠によみがえり続ける自然との対照であり、迷いの中にある人間と悠久の悟りの中にある自然との対照である。悟っている自然の中で、人である詩人は迷っている[注1]。

 「おもて」には、人がいない。「心」のあるもの、仏教語で言う「有情」は、もういない。今は、「樹」があるだけである。樹は、無生物ではないが、人や動物のような意味での「心」のあるものでもない。仏教語で言うと「無情」である。しかし、それは「息して」「芽ぐむ」のであって、生命はある。詩人にも生命があるが、それはなくなろうとしている。「心」がある人間、仏教語で言うと「有情」である詩人は、心があるためにそのことに迷っている。息づかいはあらく、樹のように「しずかに息して」はいられない。そして、樹は新しく「芽ぐむ」が、詩人は命を終わろうとしている。

 さらに、樹は、仏教にとって特別な意味がある。ブッダが生まれたのはルンビーニ園の樹下であるし、成道したのはブッダガーヤの菩提樹下であるし、般涅槃に入ったのはクシナガラの沙羅双樹の樹下であった。おそらくそこに、次の「こここそ春の道場で」への連想があるのであろう。

 「こここそ春の道場で/菩薩は億の身をも捨て/諸仏はここに涅槃し住し給ふ故」は、法華経の引用である。「如来神力品」に、「いかなる場所であれ、法華経が受持され、読誦され、解説され、書写され、説かれているように修行され、あるいはあるいはただ法華経の経巻が置かれているだけでも、そこが公園であれ、林であれ、樹の下であれ、僧坊であれ、一般人の住居であれ、殿堂であれ、山や谷や野原であれ、その場所に塔が建立され供養されるべきである。なぜかというと、まさにその場所で、すべての仏はこの上ない完全な悟りに達したのであり、すべての仏は教えの車を回したのであり、すべての仏は完全な涅槃に入ったのだと知るべきであるからである」[注2]と書かれている。また、「提婆達多品」に、「この全宇宙において、釈迦菩薩が衆生のために自らの肉体と命を捨てなかった場所は、芥子粒ほどもない」[注3]と書かれている。

 賢治は法華経の行者であった。しかし、今、法華経の教えは観念にとどまっていて、さらに迷いを増すことしかしない。実感として存在するのは、「樹などはしずかに息してめぐむ春の夜」という絶対の世界と、「これで二時間/咽喉からの血はとまらない」という相対の自分との葛藤なのである。教えは身体的な実感にならない。そこで、「こんやもうここで誰にも見られず/ひとり死んでもいいのだと/いくたびもさう考へをきめ/自分でも自分に教へながら」という努力そのものが、さらに迷いを深めてしまうのである。法華経の教えに忠実であろうとすればするほど、自分と現実とから遠ざかってしまうのである。

 これは別に宗教的な教訓詩ではないので、詩人が迷っていても一向にかまわないのであるし、むしろ迷っているところにこの詩の価値があるのであるが、「またなまぬるく/あたらしい血が湧くたび」という現実がやって来ると、「なほほのじろくわたくしはおびえる」詩人は、実に気の毒ではある。彼は、自らの死の意味を見失っている。なぜ「ひとりで死んでもいいのだ」と思えるのか、その根拠が、法華経の中にも、彼自身の中にも、彼の周囲の世界の中にも、見つからないのである。仮に、彼のいる場所が、「春の道場」であって、「諸仏はここに涅槃し住し給ふ」ところであっても、彼自身は「ほのじろく」「おびえる」しかないのである。すなわち、「億の身をも捨て」る「菩薩」には、自らはなれないのである。どこまでも迷いの中で考え続け、悩み続け、求め続けるのである。
 野田先生はクラシック音楽に造詣が深く、ご自身で歌い、作曲もされました。このところの急な冷え込みで、私はシューベルトの「冬の旅」を思い描いています。この曲は私が大学卒業直後、井原市立高校に赴任したころ、「ベルリン・ドイツオペラ」が来日公演をしていて、その一行にバリトン名歌手のディートリッヒ・フッシャー・ディスカウがいました。彼は、そのときの上演演目の1つ「魔笛」では、パパゲーノ役でした。その彼の歌う「冬の旅」は絶品でした。ピアノ伴奏のジェラルド・ムーアとの相性も抜群でした。この歌曲集では「菩提樹」が特に有名で、高校の音楽の授業で日本語で歌いました。やはりドイツ語のほうが深いです。冒頭の「おやすみ」は、失恋した男性が恋人の窓辺で「おやすみ」と歌って、荒涼とした冬の旅に出る場面の歌です。まるで、仏教の修行僧を思わせます。わが家にCDがあります。今日、聴きます。

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