論語でジャーナル
15,子曰く、鄙夫(ひふ)は与(とも)に君に事(つか)うべけんや。その未(いま)だこれを得ざるや、これを得んことを患(うれ)え、既にこれを得れば、これを失わんことを患う。苟(いやし)くもこれを失わんことを患うれば、至らざる所なし。
先生が言われた、「下劣な(みみっちい)男とは一緒に主君に仕えることはできない。地位を手に入れられるかどうかと心配するし、手に入れてしまうと失うのではないかと心配する。地位を失うことを心配しはじめたが最後、それを守るためにどんなことでもやりだす」。
※浩→孔子は、官位・俸禄に対する欲深さも嫌いましたが、それと同等以上に一旦手に入れた既得権益への執着心を軽蔑していたのです。ここでは、既得権益にしがみつく小人は地位を守るためにどんな愚劣なことでもやりかねないという危惧の念を述べています。
こういう人がいました。「地位」「肩書き」にこだわり、一旦手に入れると「死守する」と言った人がいます。、まだわりと最近のことで、「悪口」になりますから、感情は抑えて出来事だけ述べます。おんなじことか?(笑)。私自身は、ポストや肩書きにはほとんど執着はなくて、在職中も同室の同僚と、相談室長のポストを譲り合ったことがあります。同僚はカウンセリングをしようとはまったく考えられていなくて、事務全般を引き受けてくださしました。おかげで、私は臨床に専念できて、“職人仕事”ができました。お互いを室長に推薦し合っていることを知った校長が私を呼ばれて、「ぜひ、あなたに室長をやってもらいたい」とおっしゃいました。これ以上辞退するのは傲慢だと判断して、引き受けました。もちろん、その後も室内の分担はばっちりうまくいきました。
一方、前にスクールカウンセラーを勤めた学校では、相棒K先生が相談室長をしていましたが、彼もまた職人芸としての臨床に専念したいため、同室の同僚(カウンセラー資格なし)に室長を譲って、事務領域全般を担当していただくつもりでいました。ところがこれが大失敗でした。彼は事務領域はそこそこに、来室生徒のカウンセリングまで始めてしまいました。当然うまくいくはずはなく、K先生が後始末に追われることになりました。相談を受けつけたら必ずK先生に回すよう説得しましたが、聞く耳持たず、翌年度も室長ポストを死守するといって、手放しませんでした。その翌年度は室長職から「学年主任」に配置換えになりました。ところがその年、“心の病”を発症して、休職となりました。
孔子の言うとおりです。こういう人とは、ともに働きたくないです。