論語でジャーナル
26,子曰く、年四十にして悪まるるは、それ終(や)んぬるかな。
先生が言われた。「年齢が四十歳にもなって人に憎まれるというのでは、どうしようもないね」。
※浩→孔子は三十にして独立し、四十にして心が惑わないようになるというのを一つの目安にしていたから、四十歳になっても他人の気持ちや欲求を察することができず、人に恨まれるような人物はどうしようもないと考えたのです。当時は平均年齢が低かったですから、四十歳といえば現在の五十歳以上にあたるでしょう。社会的に成功している人物ほど、他人の怨恨や嫉妬を受けずに生きるのは難しいです。儒教的には、不惑の四十の年齢になるときまでには、他人の恨みをいたずらに買わないような生き方をせよということになります。今は、小学校からして「いじめ」が多発し、妬み、誹り、悪口雑言だらけの世の中になってしまいました。日本は世界的に見て安全な国だったはずが、それもどんどん怪しくなっています。これを食い止める方策は、適切な育児と教育しかありません。その家庭と学校がこれまた怪しくなってきては、もうお手上げ状態です。野田先生がかつて、「大きな物語は崩壊した」とおっしゃっていました。「人類・国家・地域」規模での「ヨコの関係の構築」は至難の業です。残るは、もっとミクロな規模での「あなた・私」ペアでの「ヨコの関係」構築だけという情けない有様です。(「陽貨篇」完)