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スレッドNo.13

論語でジャーナル

20,子曰く、君子は世(よ)を没(お)わるまで名の称せられざるを疾(にく)む。

 先生が言われた。「君子は一生を終わるまでに、自分の名が世に唱えられないのを気に悩む」。

※浩→おやおや、前に言ったことと矛盾するのではないですか?「君子は人の己を知らざるを病(なや)みとせざるなり」と「世をおわるまで名(な)称せられざるを疾(にく)む」ですから。じっくり味わっていくと、「人に自分の“存在”を知られることと、“名誉”を残すこととは違うということだと思い当たります。少し安心です。君子は名誉を否定はしないんです。他人に認められるために学問するのではないが、学問して実力がつくと、世間に出て理想を実現するために働かないといけない。そうすればきっと、世の中の人に知られる“仕事”もできるはずである、という前提がないと、確かに前の考えと矛盾します。なるほど、「自分の存在」と「自分の残した仕事」とは区別しないといけません。アドラー心理学で言う「対人関係優位」の人は「自分への評価」、人からどう思われるかを気にし、「課題達成優位」の人は、自分が成し遂げる仕事を気にする、あれと重ねると、とてもよく理解できます。卒業式で、『仰げば尊し』を今でも歌うのでしょうか?戦後しばらく、歌詞が封建的だと考えられたためか、これは歌われなくて、『蛍の光』だけ歌われていたようです。ところが、私が22年勤務した岡山工業高校では歌っていました。卒業学年を担任した年は、卒業式が近づくと、ホームルームでこの歌の指導をしました。

 仰げば 尊し 我が師の恩
 教えの庭にも はやいくとせ
 思えば いと疾(と)し このとしつき
 今こそ 別れめ いざさらば

 互たがいに睦(むつ)みし 日ごろの恩
 別わかるるのちにも やよ 忘るな
 身を立て 名をあげ やよ 励めよ
 今こそ 別れめ いざさらば

 朝夕 馴(な)れにし 学びの窓
 蛍のともしび 積む白雪
 忘るる 間まぞなき ゆく年月
 今こそ 別れめ いざさらば

 なるほど、1884年(明治17年)に発表されただけに、歌詞は「古文」です。でも、スローテンポで、この歌を合唱すると、卒業式で絶対泣きます。岡山工業高校が式でこの歌を歌うことにしたのは、別に懐古趣味でもなければ封建的でもなかったと思います。明治緒近代国家創成期のフレッシュなエネルギーが溢れています、教師と生徒はまさに「師弟関係」で深い信頼関係を感じさせてくれます。さらには「世のため人のために」社会貢献的に生きていきましょうね、となると、現代において、最も欠損しているように思われるエキスが完全に揃っています。子どものころ、歌詞の意味がよくわかっていなくて、「思えばいと疾(と)し」を「思えば愛(いと)とし」と勘違いしていました。「疾(と)し」は「速い」ということです。さらには、高校で古典を習ってはじめて知った“係り結び”なんて、知るよしもありませんから、「今こそ別れめ」は「今こそ別れ目」だと信じ込んでいました。“係り結び”の法則を知って、このフレーズを分析すると、原文は「今別れむ(ん)」で、この「今」を強調して「今こそ」と「こそ」が付くと、あとの動詞「別れむ」の「む」が活用変化して已然形の「め」になるんです。これ、もしかしたら、大人だってよく知らないで歌っているかもしれません。
 超懐かしい映画、1954年に公開された映画『二十四の瞳』(主演:高峰秀子、松竹)では、オープニング・エンディングで合唱されていました。新しいところでは、2019年公開のアニメーション映画『天気の子』のクライマックスシーンで、主人公の生徒が高校の卒業式で歌ったそうですが、私は残念ながら観ていません。今度テレビで放映されたら観ます。古いものでも、こういう素敵な歌は大事な日本文化ですから、きちんと伝承していきたいです。

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