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スレッドNo.141

論語でジャーナル

2,柳下恵(りゅうかけい)、士師(しし)と為り、三たび黜(しりぞ)けらる。人の曰く、子未だ以て去るべからざるか。曰く、道を直くして人に事(つか)うれば、焉(いず)くに往くとして三たび黜けられざらん。道を枉(ま)げて人に事うれば、何ぞ必ずしも父母の邦(くに)を去らん。

 柳下恵が司法の官職に任命されたが、三度も罷免されてしまった。ある人が言った。「あなたはなぜこんな扱いを受けているのに、この国を去らずにとどまっているのですか?」。柳下恵が言った。「(良心に従って)まっすぐに道理に従って人に仕える限り、どの国に行っても三度罷免されるでしょう。良心を曲げて仕えるのであれば、罷免にはならないであろうが、それならどこの国に行っても同じだ、どうして父母の国を去らなければならないのですか?)」。

※浩→孔子より百年ほど前の魯の賢者・柳下恵は、罷免・降格されると知っていながら、自己の道理や良心を曲げていい加減な仕事をすることはありませんでした。「士師」は司法官のかしら。悪政府のもとで仕える賢者の態度が示されています。
やはり『荘子』の思想に注目したいです。「人間世(じんかんせい)篇」です。「人間世」というのは、人間の社会という意味です。この現実社会は、ほかならぬ当時の中国の社会で、権力がどす黒く血を噴く暗く険しい世界です。そこでは、権力が人間を君と臣に峻別し、君主の恣意が人民の生命を気紛れに玩び、栄誉と刑戮が人間の運命を定めなく翻弄しました。古代ローマの「カリギュラ」をも連想します。この現実の暗さを険しさを現実として生きていくうえで、現実を生きながら現実に傷つくことなく、人の世に交わりながら自己を喪うことのない智慧を荘子が明らかにしています。ここでの登場人物の名は、孔子一派から借用しています。
 顔回はいとまごいをしようと,孔子のもとに行った。師は「どこに行くつもりだね」と訊いた。
 「衛に行こうと思います」と答えた。
 「そこで何をしようというのかね」と孔子が訊く。
 「私が聞いておりますのは」と顔回は答えて言う,「衛の君主は分別盛りながら,正常な人物ではないといいます。人民など眼中になく,自分の欠点には目もくれません。人の生活など歯牙にもかけず,民は飢えています。そして死体がごろごろと沼地の草陰に放置されている有様です。人々はどこに助けを求めればいいか,途方に暮れています。
 私はかつて先生から,よく治まっている国では通り過ぎなさい,しかしよく治まっていない国へこそ訪ねるべきだ,とうかがったことがあります。医者の門には大勢の病人が群がります。そう考えますと,あの国であるいは役立つことが出来るかも知れません」
 「なんてことだ!」と孔子は叫んだ,「君は凶運(破滅)に会いに行くようなものだ。そもそも,道というのは,あちこちとふらつかないものだよ。もしそんなことをすれば,はじめの意図からはずれたことになるし,意図がはずれては,焦燥がつのるだけだ。焦燥はやがて悲しみを産み,悲しみはやがて希望を通り越してしまう。
 最初の段階は「他人の性格をよく強くしよう」とする前に,まず「自分の性格をしっかりとよくしようとする」だろう。ところが自分の性格を改め強くする前に,よこしまな他人の仕草に出くわすことだろうよ(しかし,そんなことにかまっていられまいよ)。かてて加えて,徳というものはときに雲散霧消するものだし,知識もおしまいになると知っているかね。徳は名誉への渇望の中で消えゆくものだし,知識など言い争いの中で消え失せる。
 人々は名誉を求めてお互いに争い合い,彼等の知識はお互いを傷つけ合うばかりだ。名誉心も知識も悪の道具であり,とても生きるための源泉などではないのだよ。
 その上にだよ,人の性格が育ちしっかりしたものになって他人を感化する前に,あるいは名声などには無関心な人なんだと他人の心に届く前に,心ゆがんだ人に慈善や義務,生き方のルールを教えに行かねばならないとしたら,その善行がもとで,そうしたやからは,その人を憎むようになるだけなんだよ。この種の善意のことをやろうとする人のことを,「災いの運び手」と言ううんだ。この災いの運び手は他人から悪の仕返しを受けるだろう。そうして,何たることよ!君はお終いというわけだ。
 「その一方で,かりにその君主が善を愛し悪を憎む人であったとすると,どんな目的で彼のやり方を変えるために君を招き入れるようなことをするのだろうか。君が口を開く前に,その君主は君を(議論で)うち負かすための機会を掴まえることだろうよ。君の目はくらみ,君の表情からつやが失せ,君の言葉はぎくしゃくしたものになり,君は狼狽の色を隠せず,そして君の心は内側に閉じこもってしまうようになろう。それはちょうど,火を鎮めるのに火をもってし,水を防ぐのに水を加えるようもので,事態を悪化させる挑発行為として知られるよ。
 そして君が譲歩をし始めても,お終いではない。君がこのまっとうな忠告を無視して多言を弄するなら,君はそいつらの凶暴な手にかかって死ぬ羽目になるだけだ。
 「昔,夏の)桀(けつ)王は(忠臣の)関龍逢(かんりゅうほう)を殺し,殷の紂王は(忠臣の)王子比干(ひかん)を殺した。王たちの犠牲となったこれらの人たち(忠臣たち)は,徳を修め,下の人々のために尽くし,そのことで上の人を怒らせてしまった。だから,善行がかえってあだになって,上の人がこれらの人(忠臣たち)を排除したんだ。
 これは彼ら(忠臣たち)が名誉を愛した結果なんだ。
 「また昔,堯帝は叢枝(そうし)や胥敖(しょごう)の諸国を攻め,禹王は有扈(ゆうこ)を攻めた。これらの国々は荒廃に帰し,住民は虐殺され,支配者は殺された。というのも,攻められた国々は,最後まで止むことなく抵抗して,物質的利益のために戦い続けたからだ。
 これらの場合は,名声と実利を求めて戦った例だよ。君は,聖人たちですら名声への愛着の念,あるいは支配者にとっての物質的利益に執着する思いに打ち勝てなかったことを,聞いたことはないかね。
 ところで君は自分が成功すると思う?そうは言ったが,当然君には計画はあるだろうよ。それを聞かせてくれないか」
 「沈着な行動と謙虚さ,目的に向かって持続し,純一に脇道にそれないこと。これでいかがでしょう」と顔回は答える。 
 「ああ何と,それは駄目だ」と孔子は言った,「それで,何ができる?あの君主は傲慢な人物で,うぬぼれがひどく強く,気分はいつも気まぐれだ。だれも主君に異を唱えないし,他人の感情を逆撫でするのが大好きだという。そしてもし彼が型どおりのありふれた徳行をしそこなったら,彼がより高い徳の実践に向かうのを期待するとでもいうのかね。彼は自分の流儀に固執し,うわべでは君に賛成するかに見せかけて,内面ではけっして悔い改めない。そんなとき,どのように彼のやり方を改めさせるのかね」
 顔回は答えて,「それならですね,私は内心では真っ直ぐな気持を保っていて,表面では従っているような態度をとり,そして古い時代の事にことよせて,考えを具体化するようにしましょう。心の内面で真っ直ぐである人は,神のしもべです。そしてその神のしもべである者は,天の子どもと己自身が等しく神の子どもであると自覚するのです。このような人であるなら,彼の言動で周りの人の賛成不賛成の悶着を引き起こすものでしょうか(そうではありますまい)。
 このような人は通常は無垢の子どものように(まわりに)認められます。これこそが神のしもべとなることです。外面で従順な者は人のしもべです。彼は頭(こうべ)を垂れ,膝を屈し,手を控えめに保つ,‥‥このようなことは臣下としての礼儀です。このようなことは皆がやっていることですし,私もやってよいことでしょう。皆がやっているとおりなら,私をとがめだてする人などおりますまい。これが人のしもべであることです。その人の意見を故事になぞらえて説得することで(主張を)実現させる人は,古代の聖人のしもべです。
 私が訓戒の言葉を発し,彼に実行させるとしましても,言葉を発したのは古(いにしえ)の聖人であって,私ではありません。こうして私はその直言のかどで非難されることはないでしょう。これが古の聖人のしもべである所以です。これでどうでしょう」
 「駄目だ!うまくいくものか」と孔子は答えた,「君の計画はあまりにこまごましすぎている。君は堅実だが分別が足りない。しかし,君はこまごまと細心だから,トラブルに巻き込まれることはないだろうが,それだけのことだ。君はその君主を感化するにはほど遠い,というのは君の考えはぎすぎすと融通がきかない」
 「と,おっしゃられれば」顔回は言う,「私はお手上げです。どんな方法がよいのでしょうか」
 孔子は言う,「禊ぎ(精進)することだよ。君がせせこましく考えるのは安易なやり方だ。物事を安易に扱う者は,聡明な天は認めまいよ」
 顔回が答えて,「私の家は貧乏です。何か月も酒も肉も口にしていません。これは禊ぎすることになりませんか」 
 「それは宗教上の(形の上では)禊ぎではあるよ」と孔子は言う,「でも心の精進ではないね」
 「それなら,おたずねしますが,心の精進とはどんなことでしょうか」と顔回。
 「気持を集中させよ。耳で聞くのではなく,心で聞け。心で聞くのではなく,気で聞け。耳で聞くのを止めて,また心で思い描くのを止めよ。しかしその上で気を空しくして,素直に外界に開いておく。このように開かれた受け身の心の状態のみが,道と共にあることが可能となる。すなわち,その開かれた受け身の心の状態こそが心の禊ぎなのだ」
 「そうでしたら,と顔回は言った,「私にこの考えが浮かびませんでしたわけは,自己を意識しすぎていたからです。もし先生の方法が実践できれば,自己へのとらわれは消えるでしょう。この状態なら受け入れられますか」
 「まったくそれでよいよ」と師は答えた,「さらに説明しよう。奉仕活動をする,その際に,名誉のこと度外視しなさい。進言が聞いてもらえるようなら話し,相手に聞く耳がなかったら止める。行いには自己宣伝の気配はまったくないようにする。己を持し,自然の成り行きにまかせる。そうすれば,君に成功のチャンスも生まれてくるだろう。
 誰でも歩くのは止められる。地面に触れないで歩くことはむずかしい。人に使われる場合は,偽りの策略はいつでも使えるが,神の使いとしてなら,それは不可能だ。君は翼のある生き物が飛ぶのは知っていよう。でも,翼無くして飛ぶもののことは聞いたことはないだろう。知識を身につけた賢者のことは耳にしていよう。でも知識に無縁な賢者など聞いたことはないだろう。
 「空(くう)を見よ。空なる部屋に光が満ちている。幸運は安らぎの中にある。心の内に安らぎがないと,君の心は座ったままなのに,走り回ることだろう。
 耳を澄ませ,目を見開き,心から知の働きを空しくせよ。そこで気は(人にはかかわらず)内部に宿るのだ。これがすべての創造物と感応する変換の方法なのだ。これこそがかの禹(う)舜(しゅん)が人々に影響を与え,伏戯(ふくぎ)と几□(ききょ)が成し遂げた極意である。(こうした天才たちに及びもない)凡人は(言うまでもなく)なおさらこのやり方に従うべきであるだろう。

 まさに現代の職場でも通用しそうな智慧が詰まっているようです。ここは時間をかけてゆっくり咀嚼していきたいです。

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