MENU
64,255

スレッドNo.143

論語でジャーナル

3,斉の景公、孔子を待たんとして曰く、季氏の若(ごと)くせんことは則ち吾能(あた)わず。季・孟の間(かん)を以てこれを待たん。曰く、吾老いたり、用うること能わざるなり。孔子行(さ)る。

 斉の景公が孔子を招こうとしてその待遇について言った。「魯国の季氏のような手厚い待遇はできませんが、季氏と孟氏との中間くらいの待遇をしましょう」。しかし、しばらくすると、また言った。「私は年老いてしまいました(六十歳くらい)。あなたを採用することもできなくなりました」。孔子はこれを聞いて斉の国を立ち去った。

※浩→斉の景公は、孔子を高官として採用したいとする考えがあったが、天命が近づき年老いてしまったという理由で、孔子を採用しなかったのですが、斉の賢者として聞こえた晏嬰(あんえい)が、孔子の任用を邪魔立てたとも言われます。これが孔子の政治生活における最初の挫折です。今ふうに言えば、「就活」の最初の不成立ということでしょうか。孔子の弟子たちの中には諸侯に任用された人がいましたが、師匠の孔子自身はほとんど「本採用」のようなことはなかったみたいです。その理想が高邁すぎたのでしょうか。昔の東映時代劇では、悪代官が「水清ければ魚棲まず」とほくそ笑んでいました。今の時代も政治はどうもどす黒い。大臣や議員の不正が続々露見します。古今東西、綺麗な政治の例はないのでしょうか?
 この条に続いて、孔子が失意落胆して、国を去る場面が次々出てきます。今の私は、お仕事やる気満々です。真剣に私の講義を聴いてくださる方がかなりの人数いらっしゃいます。他にいろいろ不満はあっても、その方たちを見捨てるわけにはいきません。来年度も現職を続行しようと、昨日決心しました。同僚のK先生が喜んでくださいました。

引用して返信編集・削除(未編集)

このスレッドに返信

このスレッドへの返信は締め切られています。

ロケットBBS

Page Top