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スレッドNo.147

論語でジャーナル

5,楚の狂・接輿(せつよ)、歌いて孔子を過ぎて曰く、鳳(ほう)よ鳳よ、何ぞ徳の衰えたる。往く者は諌むべからず、来たる者は猶追うべし。已(や)みなん已みなん。今の政に従う者は殆(あやう)し。孔子下(お)りてこれと言(かた)らんと欲す。趨(はし)りてこれを辟(さ)く。これを言(かた)るを得ず。

 楚の狂人(のフリをした隠者か)・接輿が歌いながら孔子の側を通り過ぎた。その歌詞はこうだった。「鳳よ、鳳よ、お前の徳はどうして衰えてしまったのか。過去は是正できない。けれども未来はなお追っかけて是正できる。よした、よした。今の世の中で政治家になるのは、あぶないぞ。」孔子は車から降りて彼と語ろうとしたが、彼は速歩で逃げていったので、彼と語り合うことはできなかった。

※浩→ 乱世のことですから、狂人といっても精神病者ではなく、狂人のふりをして身をくらませている隠者です。戦乱の世で生き延びる智恵の一つが、頭がおかしい人物の演技をすることであり、暴君から命を狙われた賢臣の中にも正気を失ったふりをする人が少なくなかったのです。『史記』の「孔子世家」では、この条を、孔子六十三歳、楚の昭王が孔子を任用しようとして、家臣にはばまれ、昭王も間もなく亡くなったあとに繰り入れています。「今の政に従う者は殆うし」は、そういう状態にある孔子への警告のようです。
 この逸話は『荘子』(人間世篇)にもあります。以下に紹介する『荘子』が元か『論語』が元か、論争があるようですが、吉川先生は『論語』が先で、こちらの文のほうが美しいとも述べられています。私は『荘子』贔屓ですから、ここは譲れません(笑)。↓
 孔子、楚に適(ゆ)く。楚の狂接輿、其の門に遊びて曰く、「鳳や鳳や、如何ぞ徳の衰えたるや。来たらん世は待つべからず、往(い)にし世は追うべからざるなり。天下に道あらば聖人は成し、天下に道なければ聖人は生く。今の時に方(あた)りては、僅(た)だ刑せらるるを免れんのみ。福(さいわい)は羽よりも軽きに之を載するを知る莫(な)く、禍(わざわい)は地よりも重きに之を避くるを知る莫し。已(や)みなんかな、已みなんかな、人に臨むに徳を以てす。殆(あやう)いかな、殆ういかな、地を画(くぎ)りて趨(はし)る。迷陽、迷陽、吾が行(あゆ)みを傷つくること無からん。吾が行みの、郤(あとず)さりし曲(とおまわ)りすれば、吾が足を傷つくること無からん。山の木は自ら寇(そこな)うなり、膏火(ともしび)は自ら煎(や)くなり。桂(にくけい)は食らうべきが故に之を伐(き)り、漆は用うべきが故に之を割(さ)く。人は皆有用の用を知りて無用の用を知ること莫きなり」と。
 福永光司先生は次のように解説されます。要するに荘子にとっては、現在の自己を生きることが人生の第一義であった。この自己はいかなる目的の手段とされることもないそれ自体絶対の存在であり、この現在は未来で償うことも過去で代えることもできない絶対の所与であった。彼にとっては与えられた自己を、与えられた現在のなかでいかに生きるかということがすべてなのである。そこでは現在を歴史の進歩のなかで因果づけたり、自己が人類の理想の前に手段化されることは許されない。荘子が有用の用に対する無用の用を強調しつつ、孔子的理想主義に強い批判的態度を取るのも当然であろう。ただしかし、荘子の孔子に対するこの批判的態度の根底には、すべての理想主義者の痛ましい悲劇的運命に対する深い共感と、人間と、人間の社会の暗さ険しさに対する声なき慟哭がある。荘子はこの慟哭と共感のなかで孔子を理解し、狂接輿を理解しているのである。
 こんなに解説長いと、私の出る幕はなさそうです。

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