論語でジャーナル
9,大師摯(たいしし)は斉に適(ゆ)く。亜飯干(あはんかん)は楚に適く。三飯繚(さんぱんりょう)は蔡(さい)に適く。四飯缺(しはんけつ)は秦(しん)に適く。鼓方叔(こほうしゅく)は河に入る。播鼗武(はとうぶ)は漢に入る。少師陽(しょうしよう)・撃磬襄(げきけいじょう)は海に入る。
楽師長つまり大師の摯(し)は斉に赴いた。第二の演奏者の干は楚に赴いた。第三の演奏者の繚は蔡に赴いた。第四の演奏者の缺は秦に赴いた。太鼓の演者の方叔は黄河流域に行った。第一の演者の陽と石の楽器の奏者の襄は、渤海沿岸に行った。
※浩→宮廷の雅楽は文化の象徴、ないしは文化による政治の象徴として意識されものですが、それを担当する楽士たちが、その維持が困難な政治情勢になったことを悲しみ、各地に離散亡命したというお話です。
楽士が離散するというと、あの映画「タイタニック」を思い出します。これは、国の衰退ではなくて、豪華客船の沈没という大事に遭遇してのお話です。豪華客船ですから、サロンでは毎夜、豪華なパーティーが催されて、当然「楽士」による生演奏がついています。氷山に激突して徐々に沈没し始め、大勢の乗客が次々に救命ボートに乗り移りますが、そのボートは乗客全員分が用意されていません。半分くらいでしたか。ということは、半分の乗客は船とともに沈むことが予め想定されているという、なんとも人命軽視の豪華船でした。今も、クルージングという贅沢な船旅がはやっていて、コロナ初期に船内感染があって、物議をかもしていました。弦楽四重奏を演奏する楽士たちは、甲板で演奏を続けて、少しでも乗客がパニックにならないように配慮していましたが、いよいよ危なくなると、互いに別れを告げて解散しますが、ボートには乗れません。しばらくすると、一旦解散した楽士が全員また元の場所に戻ってきて、覚悟を決めたのか、再び演奏を始めます。曲名が定かでないですが、ドボルザークの「弦楽四重奏曲・アメリカ」の第2楽章のような感じでした。主演のレオナルド・ディカプリオがとても若いころ、もう20年も前の映画です。ブルーレイに録画していますから、また観ることにします。3時間以上の大作です。