共同体感覚
Q0366
人のために活動するということと、人のために働くということと、共同体感覚ということとは、同じことでしょうか。自己中心的な子どもが多いと思います。自分のことが大切だと思いながら、他人のことを考えるということを子どもが意識することが共同体感覚ですか?
A0366
この人、誤解していると思う。考え方の筋道を間違えていると思う。「これこれは共同体感覚でしょうか」とか「これこれは共同体感覚じゃないでしょうか」とかいうふうにものを考えないほうがいいと思う。共同体感覚というのは、「今起こっていることは私にとってどういうことだろうか、私が幸せになるためには何をすれいいんだろうか」って考えるのをやめて、「今起こっていることはみんなにとってどういうことだろうか、みんなが幸せになるために私は何をすればいいんだろうか」って考えることなんです。以上で終わりなんです。
それはいろんな側面でいろんな形で出てきて、他の形で出てきているのは、共同体感覚かもしれないし、そうでないかもしれない。ある言葉がある意味を持っているということは、例えば、獣と哺乳類は一緒か?獣というのは一応毛が生えているもののことですから、毛が生えていると獣だときっと思ったのでしょう。日本語としては。獣というくらいだから。哺乳類でなくて、毛の生えているものもいる。毛虫はどうかと思うけど。哺乳類で毛の生えていないのは、カバか。カバは毛が生えてないのかな?哺乳類というのは動物学者がある一定の基準で(卵を産まないからじゃないかな?カモノハシは卵を産むし)、哺乳類というものを決めました。正確な定義を知りません。動物学をちゃんと習ってないから。でもあるんです、動物学の定義が。獣というのは、日本の伝統的に使われてきた言葉で、たぶん漁師の言葉で、鳥とか獣、猪とか鹿とか分けて、獲物の種類として分けたけど、発生が違うし、使われてきた使われ方とか、使ってきた人たちが違うわけです。それを「同じですか、違いますか?」「獣と哺乳類と同じですか違いますか?」と聞くこと自体がナンセンスだと思う。あるいは、「魚と魚類は一緒ですか」もナンセンスだと思う。そもそも発生が違う言葉です。
共同体感覚というのは、共同体感覚という文脈の中で、アドラーがあるところで使った。それは例えば、世のため人のために役に立つとか、自己中心的でないとか、重なるところもあるけど、重ならないところもあるはずです。「同じですか違いますか?」というのは、すごく言葉を雑にしてしまうと思う。バーナード・ショウというイギリス人の作家がいて、ある新聞記者が「英語には同義語がたくさんありますけれど、あなたはどうやって使い分けしていますか」と聞いたら、ショウは「英語に同義語は1つもありません」と言った。英語にもないけど日本語にもありません。日本語に同義語なんて1つもありません。言葉が違ったら、違う人たちが担った違う意味の言葉であって、それを一個一個大切に扱うというのが、心理学とかをやっている人間にとって大事なことだと思っている。だから、例えば、あるクライエントさんが、「うちの奥さんが」と言ったのと、「うちの妻が」と言ったのと、「うちの家内が」と言ったのと、意味が違うんです。「奥さん」と言った人は奥さんとして、その女性とつきあっているし、「家内」がと言った人は家内というあり方でつきあっているし、「妻」がと言った人は妻というあり方でつきあっていて、同義語ではない。だから、同じ言葉か違う言葉か考え方そのものをやめてください。それは違うものを同じ色に塗りつぶしている。似たものかもしれないけど、同じものではないです。
「人のために活動する」と僕は言ったことはない。「世のため人のために役に立つ」と言ったことはある。「人のために活動する」というのは私の言葉ではないです。「人のために働く」というのも言ったことはない。「世のため人のために働く」は言ったことがある。「人のために働く」は言ったことがない。違うんです。もう少し、言葉というものがどんなものかについて敏感になられたほうがいいという気がします。
「世のため人のために」というのは何か。「世」というのは共同体です。共同体とは何か。ゲマインシャフトとゲゼルシャフトと2種類に分けてドイツの哲学者が考えました。ゲマインシャフトは本来の意味は血縁共同体で、血のつながりがある家族とか親戚です。ゲゼルシャフトは契約共同体で、もともと縁もゆかりもない人が一緒にやっていきましょうねと言ったことです。アドラー心理学が気にしているのは、共同体感覚はもともとゲマインシャフツゲフュールと言うので、血縁共同体としての共同体です。アドラーは究極的には、人類全体を人類みなきょうだいと考えているんですが、それを階層的に考えている。一番小さい共同体として、家族というのがあって、家族のためにどうやって役に立つかというのが、世のため人のために役に立つの、一番の出だしです。人のために活動するじゃない。まず家族のために私はどうやって生きるかなんです。家族の外側に、例えば親戚とかいうのがあって、親戚というみんなの中に私がいるんだと思う。昔、非行少年のお母さんのカウンセリングをしました。お母さんが、「あの子があんなになったのは、小さいときから法事とかに連れて行かなかったからでしょうか」と言う。「何ですか?それは」と言ったら、「法事へ連れて行っていたら親戚と会うでしょう。そしたら、私は親戚の中の1人だという自覚ができて、あんな勝手なことをしなかったんではないか」と言う。それはそうかもしれないと思った。孤立した核家族で生きているのに較べたら、親戚のおじいちゃん・おばあちゃん・いとこたちがいっぱいいて、その中にいたら、「この家の人間だ」という自覚がもっと生まれていたかもしれない。それから、地域というのがある。私は大阪で生まれて育っていて、大阪の人間だと多かれ少なかれ思っている。それから、国というのがある。国というのは日本の中で暮らしているとあまり意識しない。ヨーロッパに行ったら私は日本人だと強烈に意識して暮らします。そうしないと暮らせない。観光で行くならそうでもない。仕事で行って、ヨーロッパ人・アメリカ人と3週間つきあって、いろんな話をしたり、討論したりします。だいたいオランダ人が「お前らはオランダ人を慰安婦にした」とかバカげたことを言うから、「何言ってんだ。オランダ人を慰安婦にしたことなんてない。少なくとも悪い日本の兵隊がオランダ人の女の子を買収宿に売り飛ばしたことがあったかもしれないが、それは犯罪行為であって、日本軍がそれを知ったら、軍刑法で当然その兵隊を処罰した。軍が国として組織として慰安婦なんて一度も関係したことはないので、あなたがたは歴史の事実を知らない」と僕は言います。言うときに僕はここに日の丸がついているんです。日の丸つけないと生きていけないし、日の丸つけないと向こうの言うとおりになるもの。韓国に行っても言いますよ。「韓国人の女の子を、国が組織として慰安婦に強制連行したのがたった1件でもあるんだったら、証拠出してみろ」と言います。向こうがどんなに怒鳴ろうが。だって、こっちは胸に日の丸がついているもの。だから国というのも意識します。日本人が日本国内にいて、あまり意識しないですむのは、国境を接していないから。今はダラダラ外国人が入ってきてイヤな感じがすることがときどきあるけど、そのうち意識するようになるでしょう。そういうゲマインシャフトというのがあって、そのために役に立つというのが、世のため人のために役に立つという、具体的なイメージがある。ただ単に人のためという、無名の顔のない人じゃない。家族とか親戚とか地域とか国民とかいう顔のある人、具体的に誰かわかっている人なんです。それを学校で教えなくなったのは、すごく大きな問題だと思う。学校で、「国のために、日本国が存続していくために、あなた方にすべきことがあるでしょう」と教師が言わない。不思議ですね。日本という国がなくなったときにいったい何が起こるか、考えたことがない。今のままでいくと、日本がなくなる可能性がある。江沢民が今から20年ほど前にオーストラリアで演説して、「2050年には日本は中国の属国になっているだろう」と言っています。中国人が描いたという、日本を「日本自治区」と「中国の日本省・東海省」とに分ける地図もすでに流出していて、中国としては、日本を属国にする気ムンムンなんです、長期的な視野として。万が一、それが起こったらどんなことが起こるかというのを、みなシミュレーションして考えてみない。自治権自主権がなくなる。僕らのことを僕らで決められなくなる。今、日本人が総理大臣を間接的だが選んでいる。僕たちが日本の明日どうなるかを、正しいにしても間違っているにしても、決めています。これが決められなくなる。それがどんなに悲惨なことかを考えたことがない。だから、どんな形であれ、日本の国が外国とは違う独立した国として存続しなければならないというのは、当たり前だと思う。どこの国の自治州にも自治領にも絶対なりたくないと思う。こんなこと、学校が子どもに教えてやらないと、子どもは自然には気がつかない。日本の国が独立を保てるように、われわれが自分たちの民族の、国民の運命を自分で自決できるようにと子どもに教えることが、世のために人のために役に立つことだし、その中で子どもが、私が生きているのは、ただ私が生きているということだけのことじゃないんだと。例えば、福島の発電所のことをお話しましたが、私がどうふるまうかでもって、それが1年後2年後に、この国に起こる出来事に影響を及ぼすんだ。菅総理大臣みたいなあんなとんでもないのを選んだのは国民の愚かさです。なんで選んだか。国民が結局自分のことしか考えていないから。自分が「子ども手当」をもらえるから、高速道路でお金を払わなくて済むからしか考えなくて、ほんとに僕らの国のためを思っている人間を選挙で選んでいないから。甘い口約束をしてくれる人間を、その約束は嘘かもしれないけど、まあ嘘でもいいや、子ども手当なんて言っているけれど、財源ないと言っている人もいるけど、それでも宝くじみたいなもんで、買わないと当たらないから、買っておこうかということで、民主党に入れた。結局メチャメチャ悲惨なことになりました。あれだけじゃない。もう少し地味な事件もいっぱいある。まだ最終的に軌道に乗っていないけど、TPP参加をいまだに彼らは言い続けている。TPPって何かというと、経済的に日本が自分で決めるのをやめるという意味です。お米は今ほとんど100%国産ですけど、諸外国は日本のお米を国産でまかなってもらいたくないんです。アメリカとか中国とかの米を買ってほしい。そのためには、関税ゼロにすればいい。関税をゼロにすると、アメリカの米は安い。アメリカは日本と違って大規模州産農業で、広大な農地で機械でお米を作るから、日本の30%とか20%とかでお米ができる。コシヒカリと同じようなお米があって、それがすごく安く手に入る。庶民としては安い米を買えていいわけですが、食糧自給がダメになる。将来、アメリカの気に入らないことをしたらお米の輸出をやめると彼らが言うと、僕らは彼らの言うことを聞かないといけない。食糧やエネルギーを自給できるかどうかは、国が独立を保てるか保てないかの分かれ目なんです。それを捨てると言っている。食糧の自給をしませんとね。あるいは、エネルギーの問題に関しては、メタンハイドレートが太平洋にも日本海にも大量にあって、これは石油とか天然ガスの代わりになる原料ですが、日本政府は断じてそれの存在を認めない。ないことにしてある。もし、あることにすると、アメリカの石油資本が怒るから。アメリカの石油資本との間に複雑な経済的利害があって、日本はエネルギー資源のない国だということにして、アメリカの石油を買うことでもって、いろんなアメリカからのメリット、例えば、日本を安保条約で守ってもらうことを引き出している。もしメタンハイドレートを自分で発掘して採掘して、日本のエネルギーの自給を100年、200年、一切石油も天然ガスも輸入しなくて、この国はエネルギー自給できるんです。原子力発電所もなしで暮らせる。でも、それは国民に対してもないことにする。知っているんですけど、あれには存在しないことにする。なぜそんなバカなことをするかというと、裏取引があるから。言いだしたらいくらでもある。無限に愚かなことを今の政府はしています。で、しかもそこにいろんな利害があって、マスコミが乗っかっている。消費税を引き上げる法案が衆議院を通ったことになっているんですが、あの法案の条文を新聞が載せない。載せるとまずいから。上げるかどうかは2年後の政権が、消費税を上げる半年前か10か月前に、国会で審議して決めますと書いてある。そのときに景気が悪かったら上げませんと書いてある。経済成長率が2%なかったら上げませんと書いてある。実際、2%の経済成長が、今から2年後にあるとは思えない。あの法律が通っても、消費税が上がる確率はほとんどない。ないけど、国民が消費税が上がるんだと思っておいてほしい。そう思っておいてもらうと、財務省の機嫌が良い。財務省の機嫌が悪いと、新聞社へ税金の監査に入る。何年かに一度税務署が来て、監査する。新聞社としてはできるだけ監査されたくない。財務省のご機嫌をとると監査されない。ご機嫌そこねると直ちに監査される。監査されると、莫大な追徴金を取られる。財務省はそれが仕事。監査入ったら必ずお土産を持って帰るから。彼らは税金を払いたくないために国民を騙している。こういうバカげた国を維持しているのは、僕らがアホだから。僕らが自分のことしか考えないから。自分が税金安くなるとか、自分が手当をもらえるとか、そんなことしか考えていないからです。もう少し長期的に国というものが今後やっていけるように、今後10年後20年後100年後にやっていけるように、いったい何をすればいいかの視野を持てば、こんなバカな政府やこんなバカなマスコミを置いておくわけがない。でも置いている。みんなが自分のことしか考えないで、世のため人のためになること、みんなのためになること、みんながこれからも幸せに暮らしていけるために、私にできることをするということを考えていないからです。親と教師がそう教えないから。親と教師が教えないといけない。(回答・野田俊作先生)