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スレッドNo.178

論語でジャーナル

9,子夏曰わく、君子に三変(さんぺん)あり。これを望めば儼然(げんぜん)たり、これに即(つ)けば温(おだ)やかなり、その言を聴けば厲(はげ)し。

 子夏が言った。「君子はその自由な表現として三つの変化を持つ。遠くから眺めると厳然としている。近くに寄ってみると穏やかである。その言葉を聴くとエネルギッシュである」。

※浩→子夏は孔子を君子の典型と考えていて、孔子の態度を君子の模範として述べています。「儼」は「厳」と似ていますが、「厳」がただ厳格・きびしくて美の観念と結びつかないのに対して、「儼」は規格が保持されている美しさを言うそうです。「端正」が最適や訳です。遠くから眺めるとそう(儼)で、近寄ると穏やかで温和な雰囲気で、語る言葉は迫力がある。いささか自信過剰気味ですが、もしかしたら私もわずかながらこの雰囲気を持っているかもしれません。謙虚に言い直せば、「かくありたい」理想像です。逆の態度は避けたいです。遠目には穏やかそうで近寄ると実は野蛮で、話す言葉は曖昧だなんて、イヤです。竹久夢二の描く日本女性は「たおやか」な感じがします。明治生まれのわが母は晩年の一時期を除けば終始「矍鑠(かくしゃく)」としていました。私の名前「浩」の由来は『孟子』の「浩然の気」にあるようです。これは、人間内部から沸き起こる道徳的エネルギーです。これは自然に発生してくるもので、無理に助長させず正しくはぐくみ拡大していけば、天地に充満するほどの力をもつとされます。アドラー心理学の「共同体感覚」の説明みたいです。共同体感覚は生まれながらにして持つ能力ですが、生後の育成によって伸ばしていくものです。「浩然の気」は、中国、戦国時代の儒者・孟子が説いたもので、『孟子』の「公孫丑篇」にあります。「気」とは、もと人間のもつ生命力、あるいは生理作用を起こすエネルギーのようなもので、これまたアドラー心理学の「勇気」を連想させます。孟子はこれに道徳的能力を見出しました。仁義に代表される徳目は人間の内部に根源的に備わっているものとし、それが生命力によって拡大されることを「浩然の気」と表現しました。すごい名前をつけてくれた親に改めて感謝です。

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