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スレッドNo.183

症状を話題にすること

Q0373
 アドラー心理学カウンセリングでは、症状を解消することを目標にはしませんが、先生の昔の事例に、強迫神経症の子どもが、「汚いのでテレビのリモコンに触れないと言う」のに対して、「サランラップを巻かせて」と話をされていたことがあったと思うのですが、症状の解消を目的にしなくても、話題として触れることはあるのかなと思いました。もしそうであるなら、症状が話にのぼらざるをえない場合に、何か分岐点なり方針なりというのがあるのでしょうか?あるとすれば、それはどんなものでしょうか?

A0373
 僕、別に、人が強迫神経症であろうが、パニック障害であろうが、それを治す気はないんです。話題にするしないにかかわらず、それが僕らの相談の目標にならないんです。われわれは魔法使いではないから、「ちちんぷいぷい」と言ったら、強迫神経症が治るとか統合失調症が治るとか、まったく思いません。そこが問題じゃなくて、「社会とどうつきあうか」が問題なんです。人間関係をどう持っていくか?人間関係がちゃんと保てるようになれば、あるいは症状はなくなるかもしれないし、あるいはなくならないかもしれません。どっちでもよろしい。ずっと症状を持ったままで、良い社会生活を送るなら、それはそれでよろしい。そんな人はいますからね、世の中には。パニック障害を持ったままで、良い社会生活を送る。それはそれでよろしい。そんな人もいっぱいいますから。パニック障害をなくすとか弱めるとか考えてない。そのことを何とかしてあげないといけないと思った途端に、向こうの手の内に引っかかっている。だから、関心はないです。(回答・野田俊作先生)

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大森先生
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

1つ質問いたします。
「良い社会生活」のイメージですが、アドラー心理学ではどのように考えますか?

例えば、共同体感覚や横の関係、社会と調和して暮らす、自立する。
他者信頼、自己受容、他者貢献。など、たくさんのスラングが頭の中で、もつれて少し混乱しています。

私は対人関係において、支配せず、相手の強みを見つけ、自分にできることはなんだろうと協力しあうようにしていますが、
たまにイライラ、こらーっ!!と怒りが爆発し、まだまだ修行が足らないと落ち込んだり、反省したりの繰り返しです。

どうぞよろしくお願いいたします。

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ぴくいち様

 明けましておめでとうございます。こちらこそ本年もよろしくお願いいたします。この掲示板にご投稿いただいて感激です。

> 1つ質問いたします「良い社会生活」のイメージですが、アドラー心理学ではどのように考えますか?例えば、共同体感覚や横の関係、社会と調和して暮らす、自立する。他者信頼、自己受容、他者貢献。など、たくさんのスラングが頭の中で、もつれて少し混乱しています。
→おたずねの「良い社会生活」は、「良い人間関係」と言い換えると、例の「相互尊敬、相互信頼、協力、目標の一致」になるでしょう。カウンセリングでの「人間関係」のあり方でもあります。
 互いに尊敬しあい、信頼しあいながら、共通の目標に向けて協力するということですね。これを日常の生活に応用すれば、「良い社会生活」が実現しそうです。
 言葉の整理をしますと、「共同体感覚」というのは“理念”ですから現実に存在するものではないです。とても抽象的なことばですから、いろいろな学者がいろいろな言い方をしています。リディア・ジッヒャーと言う人はこれを「横の関係」と言い、ルドルフ・ドライカースは「デモクラシー」と言いました。でもよくよく考えると、言葉が違うと同じ概念を表しているとは考えにくいですから、割引してしまいます。「共同体感覚」と言う限りあくまで見えないままですが、「横の関係」と
言うと「関係」というのが見えそうな気がしてきます。「デモクラシー」と言うと、かなり外れてしまっているようです。「共同体感覚」の反対語は「自己執着」です。これを手がかりに理解していくほうが便利かもしれません。つまり「共同体感覚を実践しよう」と決意してもどうしていいかわかりにくいですが、「自己執着」に堕していないかを点検することは可能です。このことで他者を裁かなくてすみます。他者を裁くことを「競合的」と言います。裁かないで力を合わせて動くことを「協力的」と言います。「良い社会生活」は「協力的に生きること」です。
 「自立する」と「社会と調和して生きる」というのは、これは子育ての「行動面の目標」です。子育ての目標は「行動面」と「心理面」とあります。「心理面」の目標は、子どもが「私には(自己管理と貢献の)能力がある」「人々(主に家族)は(信頼できる)仲間だ」という信念を持てるように勇気づけることです。良い信念を持てば良い行動ができます。
 「他者信頼」「自己受容」「他者貢献」は、「健康なパーソナリティ」の条件です。これらを満たした健康な個性の人々が協力し合って暮らせる社会は「良い社会」でしょう。
 哲学者カントの考えをヒントにした「自律(自立)友愛」という校訓の学校があります。この言葉がぴったりです。国際連盟の理念でもありました。今の国際情勢とはほど遠いです。

> 私は対人関係において、支配せず、相手の強みを見つけ、自分にできることはなんだろうと協力しあうようにしていますが、たまにイライラ、こらーっ!!と怒りが爆発し、まだまだ修行が足らないと落ち込んだり、反省したりの繰り返しです。
→「支配せず、相手の強みを見つけ、自分にできることはなんだろうと協力しあう」
 「支配しないで協力する、相手の強み(長所、パーソナルストレングス)を見つけ、自分にできることを考えて協力する」…“理想像”として百点満点ではありませんか!
 でも、現実にはいろいろ障碍があって、完全に実行することは不可能でしょう。この「方向」へ向いてコツコツできるところから実践していくのが現実的でしょう。高すぎる理想を求めると勇気をくじかれます。イライラしたり怒ったりの「マイナス感情」が出るときは、おそらく速効を求めたりして「自己執着」に傾いているんでしょう。それは自分への警告ですから、そこで「ハッとして、いかんいかん。急ぎすぎてるな」と軌道修正していけばいいのではありませんか?完全主義になっていなかったか、自己点検のチャンスです。ドライカースは「不完全を受け入れる勇気を持とう」と言いました。

 こんなことではいかがでしょうか。またいつでもご質問ください。

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年01月13日 14:49)

大森先生

お忙しいところ、丁寧なご返信をいただき、感謝いたします。

「良い社会生活」は、「良い人間関係」という意味でとらえる事とお教えいただき、
返信を読み終わる頃には、あぁすっきりした。という快感につつまれました。
これぞ、本職!!と思った次第です。
また言葉を整理していただけたお陰でそれぞれの言葉の理解が深まりました。

「不完全を受け入れる勇気を持とう」この言葉を大切に過ごしたいと思います。

これからも掲示板を楽しみにしております。

ありがとうございました。

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