子どもの職業選択のモデルとしての親
Q0379
子どもの職業選択に関して、親はモデルとしてどのようにしたらいいでしょうか?私(母親)は水田を少しやっています。このごろは産業化で機械ばっかりで、手作業はほとんどありませんし、父親はサラリーマンです。
A0379
自分自身も先祖もお百姓さんでなかったから、よくわからないけど、僕は村医者をしようと思った。できたらこの世にいる間に村医者ができるといいと。田舎でワークショップをしますね。だいたい山奥の田舎の村では、Iターンと言って、都会の人に「住みついてくれ」と言っている。「医者は住んでもいいか?」と言ったら、だいたい歓迎してくれるはずです。あいうところでやる医者は「低度医療」です。「高度医療」じゃなくて。低度医療というのは、スクーターに乗って、ポテポテポテと往診に行く。「おじいちゃん、今晩は」「ああ、先生いらっしゃい」「血圧高いね」と言いながらお茶を出してもらって、ごそごそ話をします。嫁の悪口の1つも聞き、「もうすぐ干し柿できる。できたらあげるから、そのころまた来てね」「来るわ」と言って帰る。こういう医療が僕はすごく好きなんです。病院でカッコ良い機械に取り囲まれて、患者さんに来てもらってしゃべるより、医者が患者さんの家へ行って、患者さんの生活の中へ入り込んでする医療が、医療の原点だと思うし、そうでないといけないと思う。残念ながら、今の医学部はそういう教育をしてない。今の医学部は、基本的に、“病院にいるお医者さん”を育てている。検査機械がいっぱい入ってないと動けない医者を育てている。僕のころはまだそうじゃなかった。僕のころの教授さんたちは軍医さんだった。みんな軍医経験者で、中国かどこかの前線にいて、聴診器を1個持って、兵隊さんと一緒に中国の大草原を歩きまわっていた人たちで、怪我をしても何にもない。そんな中で治療をしてきた人たちだから、僕らにもそういうこともあるかもしれない。君たちの一生に何が起こるかわからない。聴診器とか打診・触診とかをバカにするけど、「これしかない場所もあるんだから、ちゃんと覚えときなさい」って、厳しく教えてもらいました。だから、僕は触診の名人です、自分で言うのも何ですが。このごろお腹を触るお医者さんは少ない。カッコだけ触っているけど、わかってない。今も、週に半日だけお医者さんをしていますが、ほとんどの患者さんにお腹を触らせてもらいます。漢方薬を合わせるために。触りながら「ここ何か感じます」と言ったら「どうしてわかるんですか?」と言われる。そーっと触ったらわかるんです。そーっと触ると、何かあったらわかるんです。そういうのを先生たちから習った。今の教授たちにはそんな技術はない。低度医療ができるお医者さんはいない。でも、医学部にそういうイメージができれば、低度医療の教育を、当然します。田舎の村医者として働ける医者の養成だってやる。工学部だって、村の鍛冶屋さんはいります。ちょっとした修理ができる人って、近所で、電器だって、機械だって、何でも修理できるお商売のできる人って、絶対に必要なんです、農村で。今みたいに大企業があって動くわけじゃない。僕が最初に乗った自動車は、故障したら自分で修理できた。ヤバいなと思ったら、前を開けて、「あ、これやな」言って、プラグを磨いたら動いたりして、あれはほんとはあの時代にはもうしてはいけなかった、排気ガス規制で。でも、理系の人たちは機械に触るのが好きですから、自分で勝手に自動車のチューンアップしていた。ある時点でできなくなった。プロもできなくなった。あるとき、ドイツ製のアウディに乗っていたことがあって、何かトラブルが起こって、「あそこにガソリンスタンドがある」と、ガソリンスタンドへビューッと入って、「ちょっと見て」と言ったら、若いお兄ちゃんが出てきて、前を明けて、「どないなってるねん。あーうまいことできてるねえ。これ凄いわ。うちではできません。“ヤナセ”呼んでください」。確かにそうなんです。コンピューターで燃料噴射することになっていて、凄い精密機械、測定器がないと、修理できない。町のガソリンスタンドで修理できない機械になった。日本の車もそのあとすぐそうなりました。若いころ、僕はラジオ修理屋さんをいていた。テレビやラジオがうまく動かなくなったら、修理に行きます。同級生の家とかに。テレビを分解して、裏の抵抗器かなんか1つ付け替えると動く。原価30円くらいを3000円くらいもらって、だいぶ稼いでいた。でも、電気屋さんへ出したらもっと取られた。今のテレビは全然修理できない。完全に一体化プリント基板で。この機械の作り方をやめないといけない。町の鍛冶屋さんが自分で修理できる機械を作る。そうするとそこにイメージができてくる。工学部で何を教えればいいか。そうやって、ほんとに手作りの世界をもう1回作るんだということを、日本人がだんだん決心していったら、そんな中で、自分にできることが決まっていく。全員がお百姓をするわけじゃない。昔から全員がお百姓さんだったわけではない。お百姓さんも大事だけど、お百姓さんを支えるいろんな人たちが必要。そういうイメージで話し合っていってください。なるべく、手作り化した動きができるほうが賢いと思う。そうしたら、いろんなところで暮らせるでしょう。うちの父親は往診するお医者さんで、ずっと医療の原点で暮らしていましたが、僕は残念ながらあまり医療の原点にいられなくて、良かったのは、震災のとき、ボランティアで西宮市の避難所へ行っていたこと。あのときはほんとに医療の原点で、看護師さんと2人で自転車の乗ってコキコキと避難所を回って、おじいちゃん・おばあちゃんの長い長い話を聞いて、みんな暇ですから、ああやって暮らしていた。あれはいい仕事だと思った。「医者とは何か」という迷いが完全に取れた。医者というのは、要するに患者さんに手当をする。手を当てるもんだと。患者さんに触れない医者はダメ。患者さんのほうを向いて、患者さんの話を聞いて、患者さんの体を触って、話をする間に、だんだん治ってくる。漢方医学はずっと前からやっていたけど、今はチベット医学の勉強をしている。なんでチベット医学かというと、話が怪しい。病気の原因は4つある。1つは「不養生」。ちゃんとご飯を食べないとか、日常生活のリズムが乱れているとか。2番目は微生物、バイ菌とか。「虫」と言う。3番目は「呪い」。誰かがあなたのことを呪っている。魔術。4番目は「過去生の祟り」。医者はどれか見分けないといけない。食習慣の乱れ、生活習慣の乱れなら、生活指導をする。微生物ならお薬を使って生活指導する。呪いはおまじない、ご祈祷をする。だいたい医者が祈祷師を兼ねている。「では只今からご祈祷します」と言ってご祈祷する。過去生の因縁で悪事をなしたのは、ご祈祷くらいでは治らない。本人が巡礼に行くとか、お寺に寄付するとかしないと治らない。それのお手伝いもする。手広く全部やる、どの医者も。医療機械も何もないし、薬草も乏しい。中国のようにたくさん草が生えている場所ではないから、わずかの薬草を工夫して使いながら、ほんとに「手当て」で、体を触りながら医療する。ほんとに医者の原点だし、医者と魔術師の中間というのは実は曖昧で、僕の仕事なんか、「お前はまじない師か」とみんなから言われているけど、ほんとは中間はない。このごろのお医者は「まじないって何?」と言うけど、ほんとはチベットの医者みたいに、過去生の祟りもあるかねと思う。医療の一番原点のところで考えることが、やがて絶対に役に立つと思う。今すぐにチベット医学をやりなさいとは言わない。ただ、あれは残さないといけない、将来に。いつかああいうふうな発想をもっと新しくして、使っていく時期が来るのではないか。医者がどこまで面倒をみるかというと、やはり生活の全体の面倒をみないといけない。(回答・野田俊作先生)